2013年11月4日月曜日

大学入試に「人間力」は必要か



 先月末、大学入試に関して新たな提言が発表された。概要は次の通りである。

 政府の教育再生実行会議(座長・鎌田薫早稲田大総長)は31日、大学入試や高校・大学教育の改革に関する提言を安倍晋三首相に提出した。高校在学中に複数回受けられる「基礎」「発展」の2段階の達成度テストを新たに導入し、「発展」を現行の大学入試センター試験に替えて実施するよう提案。1点刻みの知識偏重型から、能力や適性を含めた総合評価型への制度転換を求めた。
 (中略)
 提言によると、「発展レベル」のテストは受験生を段階別の点数グループに分けて評価。大学側が学力把握に活用し、面接や小論文、ボランティア活動などを多面的に評価し入学者を選抜する。さらに、英語などでの外部検定試験の活用や将来的なコンピューター方式での実施にも言及した。
(10/31 時事通信より)

 そこで、今回提出された「高等学校教育と大学教育との接続・大学入学者選抜の在り方について」(第四次提言)を実際に読んでみたので、その感想を述べたい。

 まず思ったのは、この手の提言にはよくあることだが、全体的に美辞麗句が並んだ、理想主義的な色彩が強いということだ。この提言が目指す教育の在り方が実現できるのであれば大いに結構である。ただし、実現するのは至難の業だろうが。

 この提言で注目すべきは、やはり、そうした教育の在り方を実現するためのプロセス、具体的には大学入試の方法だろう。

 「達成度テスト(仮称)」の導入には、概ね賛成だ。無論、テストの内容が具体的になっていない現時点では何とも言えない部分が多いのだが、この提言が指摘しているように、受験生に対する心理的圧迫等、現状のセンター試験の持つ課題についは理解できる。一回だけのセンター試験に比べて、複数回の達成度テストのほうが、受験生の心理的圧迫を緩和できる。また、受験期だけの集中的な学習ではなく、高校3年回を通して万遍のない、継続的な学習も期待できる。ただし、テストの内容如何によっては、受験生全体の学力低下を招きかねないので、内容については今後十分に検討しなければならないだろう。

 一方で、入試に面接等を取り入れることには危惧の念を抱かざるをえない。提言は次のように述べる。


 各大学は、学力水準の達成度の判定を行うとともに、面接(意見発表、集団討論等)、論文、高等学校の推薦書、生徒が能動的・主体的に取り組んだ多様な活動(生徒会活動、部活動、インターンシップ、ボランティア、海外留学、文化・芸術活動やスポーツ活動、大学や地域と連携した活動等)、大学入学後の学修計画案を評価するなど、アドミッションポリシーに基づき、多様な方法による入学者選抜を実施し、これらの丁寧な選抜による入学者割合の大幅な増加を図る。その際、企業人などの学外の人材による面接を加えることなども検討する


論文や高等学校の推薦書、大学入学後の学修計画案はまだいいとしても、面接や生徒が能動的・主体的に取り組んだ多様な活動までもが評価の対象となるのは如何なものか。

就職活動ならともかく、入学試験で面接を実施して学生の何を評価するのかいまいちよくわからない。だいたい、大学の教職員に学生を面接で評価するだけの能力があるのか疑問であるし、企業人などの学外の人材による面接もそこまでする必要があるのか首を傾げたくなる。とりわけ企業人による面接など、大学の就職予備校化に拍車をかけることに繋がりかねない。そして何よりも、今の就職活動を見てもわかることだが、面接を導入したところで、面接が一つの科目と化してしまい、その手の対策やマニュアルが蔓延るだけに終わるだろう。

 もっと危険なのは、「生徒が能動的・主体的に取り組んだ多様な活動」である。第一に、学力はあるが、そうした活動に消極的な人間が入試で弾かれる可能性が出てくる。言うまでもなく、学生の本分は学業であるのだから、あくまでも学力を本位に評価されるべきだ。「多様な活動」に気を取られて肝心の学力が低下してしまっては本末転倒である。

 第二に、「多様な活動」による評価は、受験生間の平等を阻害することになるおそれがある。現状でも、親の所得が高いほど、子供が難関大に進学する傾向があるという。つまり親の所得と子供の学力には相関関係があって、所得の高い親ほど、子供に対する教育費をふんだんに支出できるというわけだ。現状ですら親の所得による受験生間の格差が存在するにも関わらず、この上に海外留学や文化・芸術活動やスポーツ活動の経験が評価の対象になれば、その格差はますます広がるに違いない。高所得者の子供ほどそうした機会に恵まれていることは明らかだ。このように、「多様な活動」による評価は、所得による学歴格差を助長しかねない。
 
最後に、今回の提言では、知識偏重からいわゆる「人間力」を重視した入試への転換を唱えているわけだが、私が思うに「人間力」の形成は大学に入ってからでも十分に間に合うし、高校まではそうした「人間力」を涵養するための基礎学力・知識を身に着けることに力点を置くべきだ。

(坂木)