2015年1月24日土曜日

書評:仲正 昌樹『精神論ぬきの保守主義』

 本書は、筆者が言うところの「制度的保守主義」(=慣習的に形成される「制度」の重要性に着目する思想)の思想家―ヒューム、バーク、トクヴィル、バジョット、シュミット、ハイエク―を紹介するものである。

 本書で注目すべきところは、本書で言及されている思想家の思想そのものよりも、そうした「制度的保守主義」の思想を受けて、現代の日本における保守主義に対する筆者の所見であろう。ここでは、それに対する管見を述べたい。

①何を保守するのか

 西欧と違い、日本において制度論的な保守主義思想を展開することはかなり困難である。日本の保守論客が、制度よりも、日本人の精神の在り方を論じることに力を入れるのは、天皇制を除いて守っていくべき制度がなかなか見当たらないからだ。そのように筆者は言う。

 鋭い指摘であるように思うし、私の問題意識と重なるところがある。「日本人の精神の在り方」を論じることも必要だが、そうした議論は往々にして抽象的になりがちだ法・政治的制度に限らず、具体的に何を保守するのか、この議論を怠ってはならない。

 ただし、日本の保守派が制度に全く関心がないというような理解は正しくない。考えられる例として、家族制度が挙げられる。2013年に、民法の婚外子の相続規定に対して違憲判決が出た際には、保守論客から反対意見が相次いだ。彼らにとっては、家族制度と、その一翼を担う民法900条の婚外子規定は、保守すべき制度といえるだろう。

②憲法改正の問題

 さらに筆者は、制度的保守主義にとって最も重要な問題として憲法改正について言及する。自民党の改憲案を引き合いに出して、言葉遣いの変更だけにとどまった中途半端な改正案だとし、制度的保守主義の考えに沿って、さほど大きく変えるつもりがないのなら、放っておく方がよいと述べる。また、9条については、自衛隊の憲法上の位置づけをめぐる曖昧さに論点を絞った上で、保守派は、そうした「曖昧さ」がもたらしてきた恩恵にもっと目を向けてもよいのではないかとする。

 この意見には賛同しかねる。確かに筆者が言うように、「曖昧さ」があったからこそ、戦後我が国が戦争に巻き込まれなかったという面があるのは否定できない。しかし、筆者自身が認めるように、「曖昧さゆえの利点がそのまま維持されるという保証はない」のである。昨今話題になった集団的自衛権の問題など、現行憲法では、現在の安全保障を取り巻く環境に対応できないところがある。やはり9条をそのまま放置することは賢明とは思われない。

 また憲法改正そのものについて、法・政治的制度を含めて、何を保守するのかということを検証するためにも、日本人自身の手によって憲法をつくることには、一定の意義があると考える。

 一方で、筆者の次のような警句には耳を傾けるべきだろう。
憲法や法律に、「国を愛する心」を培うことをスローガン的に掲げることによって、“日本らしさ”を回復できると考えているとすれば、それは、保守というよりはむしろ、自分たちの青写真を元に社会を改造しようとする設計主義の発想だろう。
  確かに憲法改正を実現さえすれば、我々の心や社会が劇的に変化するわけではない。しかしながら、だからといって、憲法改正は無意味だというようなニヒリズムに陥ってはならない。また、付言するならば、保守主義は、今ある制度を守りさえすればよいというわけではなく―それは単なる現状肯定主義である―、時として「保守するための改革」は認められるべきであろう。重要なのは、現実を顧みる柔軟さだと思う。保守すべきものに関するビジョンは必要だし、それに基づいて社会、制度、法などを変えていこうとする試みが、直ちに設計主義として批判されるべきではない。しかし、そうした理想は、現実を反映した、あるいは、現実に即して随時調整されるべきものである。自らの理想通りに現実を変えることができると過信し、是が非でも現実を理想通りに変えようとするとき、設計主義の陥穽にはまる。

(坂木)