2013年1月14日月曜日

成人式に意味はあるのか。



 今日は成人の日である。昨日から成人式の報道が相次いでいるが、首を傾げざるを得ない成人式の情景もある。

 新成人がバンジージャンプをして成人の誓いをたてるというのもそのひとつである。アフリカのほうでは成人への通過儀礼としてバンジージャンプをするところがあると聞いたことがあったから、それが思い浮かんだのだが、ここは日本である。バンジージャンプに一体何の意味があるのか、私にはよくわからない。成人の日の思い出程度にはなるとは思うが。

 そもそも、現代において成人式の持つ意味とはいかなるものか。私なども数年前に成人式に出席した口だが、その経験も踏まえると、同窓会程度の意味しか持ち合わせていないというのが実情だろう。あるいは女性にとっては、振袖に身を包んで、自らの艶やかな姿を披露する場ということになるだろうか。いずれにせよ、成人式に出席して成人としての自覚で身が引き締まる思いをするということはまずない。口先では大人の責任を持ちたいなどといくらでも言えるが、実際にはせいぜい酒や煙草を“堂々”と嗜むことができると感じるだけだろう。

 こうした無意味な成人式の極北にあるのが、千葉県浦安市の成人式だ。いうまでもなく、ここの成人式は毎年東京ディズニーランドで行われる。これから大人になって社会に飛び出そうという新成人が“夢の国”で成人式を挙げてどうする。ディズニーランドが非日常を演出する自己完結的な閉鎖空間であることは社会学において幾多となく指摘されていることである。成人式がある種の非日常(=ハレ)を提供する場とはいえ、実社会から隔壁された空間で果たして社会人としての自覚を持つことができるのか。ミッキーの着ぐるみと一緒に無邪気な笑顔を浮かべて写真を撮る“新成人”の光景を見ると、毎年そうした感慨を抱く。

いっそのこと、“夢の国”がいかにして運営されているのか、その裏側を見学させた方がよほど有意義な成人式になりはしまいか。

(坂木)



補足

 地元住民にとってディズニーランドは単なる地元密着の大型企業なので夢の国ではないことくらいわかっているという旨のご指摘をいただいた。もっともなご意見であり、真摯に頂戴したい。
 しかしながら、であればなおのこと私にはそこで成人式を開催する意味がわからなくなった。非日常の空間で悦に浸るというわけではなく、 彼らにとってディズニーランドというものが大型企業という言葉で片付けられる存在であるというならば、あえてそこで成人式を開催する必要があるのか。もちろん、浦安市及びディズニーランドにとっては絶好のPRになることは間違いないし、そのほうがより多くの新成人に来てもらえると考えたのかもしれない。だた、そうした実利的な面が先行しているのなら、やはり違和感を覚えずにはいられない。
 結局のところ、本稿で言いたかったことは、成人式というものが本来の意味から逸脱しているのではないかということである。したがって、念のために申し添えておくが、なにも浦安市だけを非難するつもりは毛頭ない。