2013年9月12日木曜日

やはり「若者論」に意味はない



 この頃になってようやく、古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』を読んだ。この筆者に対しては、現役東大院生という肩書がウリの人だという印象しかなかったが、本書を読んでも、残念ながらその印象は変わらなかった。

 表紙を開くと次のような売り文句が書いてあった。

 最注目の若き社会学者が満を持して立ち上げる、まったく新しい「若者論」!

 若者が書く若者論という意味では新しいのかもしれないし、それなりに有用な部分もあったのだが、所詮「若者論」はどこまでいっても「若者論」である。どんなに真新しいことを述べようとも、本質は今までの「若者論」と変わらない。

 そもそも私は若者論というものを信用していない。それは、本章で引用されている言葉を使うなら、「『世代』内部における個人的・階層的多様性を見落としがち」(井上俊)だからだ。結局、若者論は、―意図しようがしまいが―若者、いや人間の多様性を無視して、年代だけで集団を一括りに論じようとするものなのだ。ちょっと考えればこれがいかに乱暴なことかわかるだろう。確かに統計などを用いてもっともらしいことを言うことはできる。「今の若者はこういう傾向にある」と。しかし、それはあくまでもそうした傾向を持つ若者がいるというだけの話であって、当然ながら、それに当てはまらない若者もいる。何も難しい話ではない。繰り返すが、人間は十人十色である。それを年代だけで一括りにして論じることに何の意味があるのか。しかも、そうした議論が若者に限ってなされている。中年論とか高齢者論とか、私は寡聞にして知らない。

では、この“まったく新しい「若者論」!”は具体的にどうだったかを述べたい。

正直、この本で感心したのは第1章だけで、あとはほとんど中身のないものに思えてしまった。第1章では、明治時代から現代までの若者論の系譜をたどっていく。私自身も80年代の若者論について調べたことがあるということもあって、この章は非常に興味深かった。これを見ると、若者論が昔から同じようなことを繰り返し主張してきたことを改めて確認できた。

 第2章では、「内向き」や「嫌消費」など、現代の若者論で言われている事項を検討している。これもなかなか面白い。ちなみに、筆者の意見は、「微妙」だそうだ。「データの解釈次第で「内向き」とも言えるし、「内向きじゃない」とも言えてしまう」。当然と言えば当然の結論だろう。若者論とはそういうものである。

 ここまでは良かったのだが、筆者もまた新たな若者像を打ち立てたことに失望を禁じ得ない。筆者は、20代の生活満足度の高さを指摘し、そこから「コンサマトリー化する若者たち」と命名している。「コンサマトリーというのは自己充足的という意味で、「今、ここ」の身近な幸せを大事にする感性のこと」らしい。

彼らは、「仲間」や「友達」を大事にして、ムラのような小さなコミュニティで生きていくことに幸福を感じているが、同時に閉塞感も感じているらしい。だから、ワールドカップや震災ボランティアのように「非日常」という村祭りを提供してくれる場があれば、それに飛び込んでいく。
 
 これが本書の論旨である。今までの若者論と何が違うのだろう。今までの若者論も統計を用いながら、もっともらしい主張をつくりあげたものだ。確かに一見新しそうな主張だが、多様な人々を年代という共通点で抽出し、勝手な解釈を施しているという点において、他の若者論と変わらない(筆者の主張については、次回、検討するつもりである)。

筆者は第1章で次のように述べている。


「若者」というのは実態があるようで、ないような、曖昧なものだから、いくらでも勝手なイメージを付与できる。さらに、若者はどんどん入れ替わる。だから、若者論が入れ替わっても誰も文句を言わない。むしろ歓迎される。「これが新しい若者か」と。


筆者にそっくりそのままお返ししたい言葉である。

第3章から第5章はほとんど論評に値しない。第3章はワールドカップに熱狂する若者とナショナリズムを扱っているが、どこかで聞いたことのあるような意見が目立つ。第4章は、保守系運動に身を投じる若者を論じている。これも小熊英二あたりの著書で読んだことがある内容だ。第5章では、東日本大震災時の震災ボランティアに参加する若者をクローズアップする。どれについても、この章は本書に必要だったのかと思いたくなる。ワールドカップにせよ、保守系運動にせよ、震災ボランティアにせよ、それらにコミットする若者を取り上げたところで、それは「そういう若者もいる」ということにしかならない。しかも、「国家はいらない」、「社会を変える意味」、「3・11後の希望」などと本論とは直接関係のないこともちりばめられている有様だ。巻末の佐藤健との対談も、週刊誌の記事かと突っ込みを入れたくなる。筆者は、この本は「若者パーフェクトマニュアル〔永久保存版〕」ではないにしても、「若者資料集〔二〇一一年度版〕」くらいにはなると述べているのだが、「資料集」にしてもお粗末な感が否めない。

最終章に至っては、「なんとなく幸せで、なんとなく不安。そんな時代を僕たちは生きていく。絶望の国の、幸福な『若者』として」という文句で幕を閉じる。結局、絶望的な未来が待ち受けているとしても、今がそれなりに幸せならそれでいいということなのか。シニカルと言うべきか、無責任と言うべきか。少なくとも、“社会学者”の吐くセリフではない。

やはり「若者論」に意味はない。本書を読んで改めて確信した。

筆者はまだ博士課程在籍のようだが、有限会社に勤めたりメディアに露出したりする暇があるのなら、勉学に勤しみ、博士号をとるなり単位取得満期退学するなりしたほうがよい。老婆心ながらそう申し上げたい。

(坂木)

2013年8月25日日曜日

『はだしのゲン』を過大評価するな



 松江市内の小中学校でマンガ『はだしのゲン』に対して閉架処置がなされていた問題が波紋を呼んでいる。

 閉架処置反対派からは、「平和を考える機会を子供たちから奪う」「言論の自由の侵害だ」などといった批判が出ている。

 一方、賛成派の間には、『はだしのゲン』の過激な描写や反日的・自虐史観的表現を問題視する意見がある。

 この問題について管見を述べさせてもらうと、どちらも『はだしのゲン』を過大評価しているように思う。

 まず反対派に対してだが、反対派はどうも『はだしのゲン』を平和教育のバイブルとして神聖視している節がある。確かに、同作品は戦争、とりわけ広島における原爆を取り扱った作品ではあるが、これだけが原爆の悲惨さを伝える作品ではない。例えば、こうの史代『夕凪の街 桜の国』も原爆を扱った秀逸なマンガである。『はだしのゲン』が原爆を扱ったマンガとしては最も有名であろうことは間違いないにしても、だからといって特別扱いするのはどうなのだろうか。

また、反対派は平和を考える機会を奪うなと言うが、『はだしのゲン』が小中学校の図書館で読むことができなくなったからといって平和を考える機会が奪われるのだろうか。そうだとすれば、この国の平和教育というものは甚だ貧相で薄っぺらなものだと言わなければならない。

 言論の自由を侵害するという批判も的外れだ。『はだしのゲン』が日本全国で発禁処分になったのならいざしらず、一部の小中学校の図書館で閉架になった程度で言論の自由が侵害されたとは到底言えまい。そもそも言論の自由を持ち出すならば、『はだしのゲン』が図書館に置かれているのに、他のマンガ作品が置かれていないということこそ、言論の自由の侵害に他ならない。『はだしのゲン』は平和教育に有用だからという反論があるかもしれないが、では一体誰がどのような基準で平和教育に有用かどうか決めるのか、恣意性を拭い去ることはできない。また、図書を有用かどうかで差別化することも妥当なのか。反対派は、閉架になったのが『はだしのゲン』だからそのような主張をするのではないかと疑いたくなる。例えば閉架になったのが小林よしのりのマンガだったなら、事はここまで大きくはならなかったに違いない。
 
 次に賛成派に対してだが、こちらも私に言わせれば言い過ぎの感がある。

 私自身の体験を語ると、私の通っていた中学校にも『はだしのゲン』が置いてあった。学校の図書館にあるマンガといえば、手塚治虫の作品とこれぐらいだったように記憶している。学校にある数少ないマンガというのは子供にとっては魅力的だから、私も『はだしのゲン』は読んだ。確かに気味の悪い表現が多かったが、全体としてはゲンの成長がメインの話だから結構面白かった。町の図書館で完全版を借りたくらいだ。

 賛成派からは「女性器の中に一升瓶をたたきこんで骨盤をくだいて殺す場面」が過激な描写の一例として挙げられているが、言われてみれば確かにそんなシーンがあったなと思い出す程度で、具体的に悪影響があったわけでもない。先程も述べたとおり、同作品はあくまでもゲンの成長がメインだ。作品の一部の描写をあげつらって批判するのはいかがなものか。

 また、「天皇陛下に対する侮辱、国歌に対しての間違った解釈、ありもしない日本軍の蛮行が掲載」されていて、子供たちに「間違った歴史認識を植えつけている」という批判もあるが、それは大袈裟というものだ。だいたい、そのような場面を見て年端もいかないような子供が「間違った歴史認識」を持つことなどあまりないだろう。賛成派は、『はだしのゲン』が子供たちを反日主義者に仕立て上げるプロパガンダ作品だと本気で信じているのだろうか。賛成派にはいわゆる“保守”の方々もいらっしゃるようだが、反日的な描写が少しでもあれば批判するというようなことをしていると、保守派全体の品位や信頼性を疑われかねない。

 そもそも、今回の松江市での問題が発覚する以前において、『はだしのゲン』を批判する主張を私は見たことがない。今回の問題が発覚した途端に『はだしのゲン』を問題視する主張が一気に噴出した感がある。本当に『はだしのゲン』が問題だというのであれば、なぜもっと早くからそうした主張をしてこなかったのか。

 以上のように、反対派も賛成派も、『はだしのゲン』という作品を過大評価している。確かに原爆が登場するという意味では特異なマンガではあるが、所詮は数あるマンガ作品の中のひとつに過ぎない。少なくとも子供たちにとってはそうである。この作品を変な色眼鏡で見るからこのような問題が起こるのである。

 したがって、今回の問題について言えば、閉架にする必要は特にないと思うが、教育委員会が必要と判断したのであれば閉架にしても構わない。その程度であって、大騒ぎする問題ではない。

(坂木)



2013年8月4日日曜日

橋下現象とは何だったのか ~橋下現象を総括する~



 以下、F参与の授業レポートと同様の内容である。若干お付き合い願いたい。

 
 
 この国の総理大臣はここ5年で6人も変わっている。ここまで政治が不安定であってよいはずがない。東北大震災からの復興の遅れ、日米関係の悪化、拉致問題にかかる交渉の断続性、枚挙にいとまがないほどに、内政、外交に多大な毀損をもたらしていることは疑い得ない。それでもなお、この国が未だに致命的な政情不安に陥っていないのは、政治家と行政官僚および民間がそこまで互いに依存的でないからだと言える。政治はそれが持つ大きな権力によって国家を容易く変容しうるが、まさにそういった「政治主導」の不徹底ゆえに我々は致命傷を免れているのであろう。
 そのように政治が混迷を窮める中、「橋下徹」という人間がにわかに脚光を帯びている(最近はそうでもないが)。彼は言う、「政治に必要なのは大胆な構造改革だ」「政治には民間の感覚が足りない」云々、経済的には新古典派(Neo Classical)を理論ベースとし、全体の政策パッケージとしては新自由主義(Neoliberalism)ないし新保守主義(Neoconservatism)と呼ばれる思想潮流だ。何も目新しいものではなく、レーガノミクをを率いた(と揶揄された)アメリカのレーガン、サッチャノミクスを主導したイギリスのサッチャー、さらには日本の中曽根康弘も明確にこのような思想潮流に棹さす政策を実行してきた。
 新自由主義に関する考察は他に譲るとして、今回は、なぜそのような政策ないし政治家、特に最近で言えば「橋下徹」がこれほどまでにもてはやされる(た)のかということについて論考したい。

【唾棄すべきポピュリズム】
そもそも我が国は、天皇を君主とする(これには議論もあるが)立憲君主制の下、アメリカやフランスをはじめとする共和制国家とは異なり、議院内閣制を採用している主権国家である。衆議院と参議院の二院制であり、そこでの議席数が最大の政党が実質的に政権を担当する。衆議院においては政局の動向如何でその任期半ばで解散することも多いうえ、衆参のねじれに伴う議会運営の困難さも相まって、法の制定にかかる政治的な意思決定はもとより、議院内閣制の下組織される行政の主体となる内閣の運営さえも他の先進諸外国と比較しても不健全な状態にある。この背景には何があるのか。

共和政体下の大統領制では、議会に比して権能の強い大統領が行政の運営主体となる。そして君主たる大統領は通常、直接有権者により選出される。対して、議院内閣制においては、政治の中心的役割を担う国会の構成員が有権者によって選出される。要するに民主的な政体下において、国家を運営する代表を選挙によって選出するのは、他でもなく国家の構成員たる国民である。

そのような大切な選挙の趨勢を決定する我々の「民意」の現状はどうか。小泉政権以降、政治の「劇場化」が進んでいる。民衆はパンに飽き足らず政治にサーカスを求めている。ローマの民衆に学のある者はほとんどいなかったが、現代日本は違う。世界でも最高水準の教育(内容に関する議論はあるが)を万人が受ける権利を有し、実際に万人がそれを享受している。一国民として民主政治に参画する主体たりうる教育を施されていながら、かつてのローマの民衆の如き「パンとサーカス」を求める有様。いささか高踏的ではあるが、そのような民衆の姿は、「衆愚」という名に相応しい。

アリストテレスは政体を君主政、貴族政、民主政に三つに分類した。ポリュビオスは、これら三つの政体が堕落することでそれぞれ専制、寡頭政、衆愚政に陥ることを指摘した。この議論に沿えば、我が国の政体は民主制である。民主制はややもすると衆愚政治に陥りやすいことは、古代ギリシャの時代から指摘されていた知見である。

情報を精査し、合理的に判断出来る者たちを、タルトは「民衆」と呼んだ。橋下は「民衆」をあたかも敵と捉え、批判することで「大衆」の支持を謀る下劣な方策をとる。物事を深く考える人間を、頭でっかちで経験が足りないと批判し、そのような人間たちに恥を与えるのである。政治には味方と敵しか存在しないとはシュミットの友敵理論であるが、彼は政治に内包するこの性質を最大限に利用し、権力を射止めようと躍起になっているのではないか。

【安直な構造改革論】
 彼は既存の構造を「悪」と捉える。「悪」である既存の構造は既得権の温床であり、非合理的であり、効用を最大化すべく即刻破壊し新しいシステムを構築する必要がある云々。
ヘーゲルの「存在するものは、合理的である」という箴言が聞こえる。当時苛政を強いていたロシア皇帝について、その存在を擁護するのではなく、無くしたければ現実的かつ合理的なオルタナティブを想定せよという旨の発言である。E.バークのフランス革命にかかる議論を参照するまでもなく、落とし所を想定しないままに単にその場の雰囲気でシステムを大きく変更すれば必ず災厄がもたらされる。特に近代以前の「冷たい社会」(レヴィ・ストロース)ならば共同体の内部で当たり前になされてきた伝承が、近代以降脱呪術化され機能不全に陥った所にこのような病理が蔓延することは見易い。現状存在するシステムには、必ず何らかの合理性が働き、その上で駆動している。そういうものを見極めたうえで構造を変革しようという議論であるならまだしも、それを見極める教養もない者が徒にシステムを破壊し、その光景にカタルシスを得て溜飲を下げる大衆の姿は極めて醜い。
自分の存立が現在の社会構造にどのように埋め込まれているのかということに無頓着な人間が、システムを構成するシグナルとその応答という機能的な部分のみを振りかざし、権力を貪らんとする様は、いわゆる精神病理学上の「サイコパス」と何ら遜色ない(かような記述は‘香山リカ’的であまり好きではないが、、、)。授業中の言葉を使えば、集団から「疎外」された人間の、呪詛ないしルサンチマンに端を発する支配欲、権力欲とも言えるかもしれない。

【現代のソフィスト】
 この国では小泉政権以降、新自由主義に基づく思想潮流が大きく幅を利かせている。無論、彼らの主張にも当然理があるゆえに一定の支持を得てきたことは言うまでもない。けれども山本昌平のいう「空気の支配」も相まって必要以上に肥大化してはいないだろうか。
啓蒙は人間の理性を使いながらあらゆる現実を概念化することを意味する。そこでは人間の思考も画一化されることになり、数学的な形式が社会のあらゆる局面で徹底される。理性は人間を非合理性から解放する役割とは裏腹に、暴力的な画一化をもたらすことになる。このような事態をフランクフルト学派第一世代にあたるホルクハイマーとアドルノは啓蒙の弁証法と呼んでいる。橋下現象とはまさに啓蒙の弁証法ならぬ新自由主義の弁証法というべきであろう。


【大衆社会への処方箋】
橋下徹現象の如きは、過去人類が幾度となく通ってきた道なのである。とりわけ文明の衰退期に頻繁に現れる症候。我々はこのような大衆社会の‘罠’を如何にして超えうるか。
 
社会のありうべき方向性として、エリート主義的か市民社会的かという二つを考えてみる。エリート主義とは、民衆の中でもとりわけ卓越した見識を有する者が社会を善導すべきであるという考え方であるが、当然階級的な固定を産みやすい。また、他律、依存をもたらしがちであるが衆愚化しにくい。一方の市民社会的方策とは何か。市民社会論の典型は、十分に啓蒙された主体的な市民を多く作り出し、それら主体間の積極的な政治参加によって社会を運営していこうとする立場である。確かに、市民社会は自律的ではあるが、主体の能力の向上には歩留まりがある上、ステークホルダーの増加に伴って合意形成が難しくなるといった問題を孕む。

【自己形成・教養・インテリゲンチア】
しかし、いずれにせよ、エリートたる卓越した人物、ないし合理的な社会構築が可能な主体的な市民が少なからず必要になる。そういった人物とは、現在あまりに乱用され形骸化している「インテリ」のことではなかろうか。

少なくともインテリとは、巷間語られるような知識のみが卓抜していたり、討論が上手く相手を論難するに長けていたり、というような人間を指すものではない。インテリ、つまりインテリゲンチャ(Intelligentsia)とは、教養によって共同体から疎外され、また教養によって共同体に再帰的に戻ってくるという特殊な自己形成を遂げた人間であると僕は思う。ツァラトゥストラの生き様や仏教の往相還相、ファン・ヘネップのいう通過儀礼の中でも激烈なる経験を伴うもの、あるいは波乱万丈な人生を、思想と共に生きることでより深い洞察を得ていく過程、そのような自己形成を遂げるに至った者だけが得られる境地。自由に浮動するインテリゲンチャ(free-floating intelctuals)。昨今巷で氾濫する「インテリ~」という類の輩がインテリを騙るのはやめてほしい。と同時に、リスペクトすべきインテリを扱き下ろすことも同様だ。



大衆社会に潜む「罠」を見定め、社会をあるべき方向に向かわしめるために、今日も教養を磨かんとす。

2013年6月1日土曜日

書評:『コミュニタリアニズムのフロンティア』



 本書『コミュニタリアニズムのフロンティア』(小林正弥、菊池理夫〔編著〕)は、コミュニタリアニズムに関するオムニバス形式の論文集である。

全体の印象としては、『コミュニタリアニズムのフロンティア』というタイトルにふさわしく、従来コミュニタリアニズムと関連して論じられることの少なかった、環境、フェミニズム、福祉、ジャーナリズム等を取り上げていて、従来のコミュニタリアニズム研究にはない新鮮さがあった。さらに、京都学派の哲学者や南原繁といった日本の人物をコミュニタリアニズムの視点から論じている点も非常に興味深い。

 本稿では、本書に収められた論文の中でも、個人的に気になったものを取り上げたい。それは「戦争責任」(第14章、宮田裕行)についてである。

 宮田はまず、丸山眞男、加藤典洋、高橋哲哉の戦争責任論を取り上げ、責任の「主体」という点から戦争責任を論じた各人の主張を紹介している。そしてそれらを踏まえた上で、今日の戦争責任及び戦後責任論の課題を、「戦後責任の具体的な責任主体となる国家と、その責任の実質的な担い手となる国民一人一人の意識との間の開きを、そのようにして埋められるのかという点にある」とする。そこで次にサンデルの戦争責任論が取り上げられる。

 サンデルは、道徳的責任を、「自然的義務」「自発的責務」「連帯の責務」の3つに分類し、とりわけ、「連帯の責務」を重視する。「自然的義務とは異なり、連帯の責務は個別的であって、普遍的ではない。そこにはわれわれが負う道徳的責任も含まれる含まれるのだが、この責任は理性的な人間そのものではなく、一定の歴史を共有する人間に対する責任である。だが、自発的責務とは異なり、そうした責務は同意という行為に基づいているわけではない。その道徳的な重みの源は、位置ある自己をめぐる道徳的省察であり、私の人生の物語は他人の物語をかかわりがあるという認識なのである」とサンデルは言う。「連帯の責務」は、個々人が自ら所属する共同体の価値や道徳的文脈について熟考することで、はじめてその責務を引き受けることができるものなのだ。

 こうしたサンデルの主張を踏まえて、宮田は次のように述べる。


 サンデルの「集合的な道徳的責任」では、みずからが所属する共同体の歴史に対して、積極的に向き合っていくことが要請される。また同時に、そうした責任を、世代を超えて継承していくことが要請される。戦後責任の問題でいえば、自分自身が直接に手を下したわけではない出来事や自分自身が生まれ育った以前の出来事、つまり自分自身の経験的現象を超えている出来事に対しても、そこにある種の「うしろめたさ」のような感覚を呼び起こさせるものであり、戦後世代に積極的に戦後責任の問題について考えることを要請する議論となる。


 以上のように、宮田はサンデルの議論を、戦後責任の具体的な責任主体となる国家と、その責任の実質的な担い手となる国民一人一人の意識との間の開きを埋める考え方として評価する。

 私は、こうしたサンデルの主張は概ね妥当なものだと思う。コミュニタリアニズムの思想からいって、共同体の培ってきた歴史を継承するというのは当然のことであり、そこには負の歴史も含まれるだろう。

 私が気になったのは、次の二点である。

 まず、我々はどのような出来事を「責任」として継承していかなければならないのかという点である。宮田論文では、第二次世界大戦下での支那や朝鮮に対する侵略的行為を「責任」の対象としていた。では、我々が負うべき「責任」はそれだけなのか。例えば日清戦争や日露戦争などで日本が他国に与えた損害については「責任」は負わなくてよいのか。私が言いたいのは、「責任」を負うべき対象となる出来事が一体いかなる基準で選ばれるのかということである。

 共同体での熟議で決めるべきとコミュニタリアンなら答えるのかもしれないが、そうであるならば、熟議の結果、第二次世界大戦下での支那や朝鮮に対する侵略的行為は「責任」を負うべき出来事に値しないという結論が出たとすればどうだろう。もちろん中韓は反発するに違いないが、誰がその共同体の下した結論に異を唱える正当性をもつというのか。いずれにせよ、第二次世界大戦下での行為が「責任」を負うべき対象とみなされる根拠を明確にしない限り、恣意的だという批判を免れることはできないだろう。

 もう一つの点は、この「責任」はどのくらいの世代にまで継承され続けなければならないのかということだ。宮田は「ある種の「うしろめたさ」のような感覚を呼び起こさせる」と言うが、この「うしろめたさ」を共同体の人々は未来永劫持ち続けないといけないのか。例えば、(アングロサクソン系)アメリカ人は18世紀にアフリカ大陸から黒人が奴隷として拉致されたという事実を受けて、今現在でも黒人に対して「うしろめたさ」を持たなければならないのか。フィリピンを植民地にしたことや、ベトナム戦争に対して今でも責任を感じなければならないのか。

 これに対して、「被害者が謝罪を求めている限り、責任を負わなければならない」、「相手が許してくれたら責任から解放される」という回答が可能かもしれない。しかし、その際厄介なのは、相手がそもそも許す気がない場合である。宮田は、「先の戦争における被害者やその遺族からの謝罪や補償、真相究明を求める声」が後を絶たないのは、「その謝罪や賠償が単なる政治外交上の形式的なものであり、日本国民の深い洞察から導かれたものではないからではないか」と述べている。確かにそうした側面も否定できないが、大きな理由は、中韓がこの問題を外交上の切り札として利用しているからだろう。また、「日本国民の深い洞察から導かれた」謝罪というものは、何を基準にしてそのようにいえるのか。相手側が判断するのか。

 確かに我々は、自らの属する共同体の歴史を、負の部分も含めて、継承していく必要がある。しかし、負の歴史を継承していくことと、負の歴史に対する責任や謝罪が直ちに結びつくわけではないし、積極的に結びつけるべきでもないと私は思う。

(坂木)

2013年5月6日月曜日

おそるべき教育者たち―『革新幻想の戦後史』を読んで


 日教組といえば、日の丸・君が代反対、自虐史観的歴史教育、行き過ぎた性教育など、その左翼的教育方針が保守派からよく非難されている。

 日教組が絡んだ事件は、近年では広島県の高校校長が日の丸・君が代をめぐり自殺に追いやられた例などがあるが、本書『革新幻想の戦後史』(竹内洋)を読んで、過去にはさらに衝撃的な事件があったことを知った。

 本書は、タイトル通り、戦後の左翼文化や進歩的知識人について、筆者の体験を交えながら論じたものだ。革新幻想がキャンパスを席巻していた時代に学生であった筆者だからこそ、当時の空気をよりリアルに感じることのできる好著である。

さて、その中で最も印象に残ったのが、「旭丘中学校事件」である。これは、1953年から54年にかけて、京都市立旭丘中学校を舞台にした事件だ。当時、同校は共産党日教組教員(日教組における共産党入党教員であり、日教組の中でも特に過激派であった)による赤化教育が行われており、「子どもをやりたくない学校」として保護者から不満の声が上がっていた。「学校は、子供は子供なりに人民革命の一翼をになうことができるような者に、これを合目的的に育成するべきものである」という共産党員であり教育学者である人物の言葉があるように、共産党は教育労働者に、平和と独立と民主主義のために闘う青少年を育成する教育を指示していた。こうした指示に基づいた教育をしていたわけだから、「市立旭丘中学の教育が赤いということは定評のあるところです」とか「あのような教育をゆるしていたら、京都じゅうの学校がみな赤くなってしまう」という声が保護者からでるのは当然のことであろう。こうした同校の実態は53年の12月、マスコミで報道されることになる。

翌54年2月に、京都市教育委員会が生徒の指導方法・教員の組合活動の制限などの勧告書を同校校長に手交し、3月には赤化教育の指導的立場であった北小路昴教頭、寺島洋之助教論、山本正行教論の異動を内示し3教員を他校に転任させることで事態を収拾しようとした。しかし、この内示に対して、赤化教育を支持する教員、保護者、生徒が3教諭留任の陳情に市役所へ押しかけた。

3教員は転任命令を拒否し、同校での授業を続行。5月5日には3教員の懲戒免職が決定された。この懲戒免職を受け3教員を支持する保護者代表、教員、生徒会代表と北畑紀一郎校長とで団交が行われた。5月6日の正午から翌日朝5時まで17時間に及んだ。7日の生徒大会では、校長に対する辞職決議がなされ、同氏は辞表を強制的に執筆させられた。この際、生徒たちは「おい!おっさん、早く書かんか」と口々に罵倒し、校長が辞表を書き終えると、「おっさん、あんた辞表を書いた以上は校長やあらへんのやで、早う帰りいな」と叫んだという。

京都市教育委員会は、これを強要されたものとし受理せず、5月10日より同校の休校と教職員の自宅研修を通知した。しかし、教職員は同校での自主管理授業を強行する。これに対抗し、市教育委員会は翌日、岡崎の京都勧業館で補習授業を開く。教育委員会は、岡崎までのバスをチャーターしたが、バス乗り場では、日教組派教員と教育委員会派父兄の間で生徒の奪い合いと相手陣営への怒号が起こったという。旭丘中学は冷戦下のドイツのように二極に分断されてしまったのである。なお、分裂授業初日の11日における各陣営の生徒数は、旭丘管理学校449名に対し、岡崎補習学校は818名であった。その後、この事件は、自主管理授業派の事実上の敗北という形で収束する。

この事件について、筆者は、教育学者森田伸子の言葉を引用して、次のように述べている。

旭丘の生徒たちの、「民主主義を担う子ども」像は、戦中期の子ども像の反復である。教育学者森田伸子はこう言っている。

戦後の「民主主義の申し子」と戦時期の「少国民」との間には断絶はない。断絶はファシズム国家と民主主義国家という国会体制の違いのなかにあるのであって、子どものあり方のなかになるのではない。いずれの場合においても子どもは、政治的現実を大人とともに共有する小さな国民とみなされている。

この指摘は正鵠を射ているように思う。教職員たちが否定していたであろう戦中期の軍国主義者と、彼らは同じことをしていたというわけだ。何とも皮肉である。

それにしても、かような激烈な事件があったことを知り、私もいささか驚き呆れてしまった。左翼のラディカリズムについては当ブログでもたびたび言及してきたが、自身のイデオロギー闘争のために子供でさえも利用するとは、恐ろしいものである。

(坂木)