2013年12月3日火曜日

特定秘密保護法よりも不安なこと

 最近、世間では特定秘密保護法をめぐる議論で喧しい。とりわけマスコミは、知る権利や報道の自由が侵害されるだの、民主主義にとって脅威だのと、凄まじいまでのネガティブキャンペーンを繰り広げている。

 この法案の是非について、ここで論じるつもりはない。ただ、この法案をめぐり私が不安に感じていることを述べたい。それは、この法案が成立することによって言論の自由が抑圧された社会が誕生することへの不安ではない。

 先にも触れたが、この法案についてマスコミは驚くほどのネガティブキャンペーンを展開している。新聞・テレビでは反対論ばかりが目立ち、この法案に賛成する意見は極めて少ない。本来であれば、このような法案が出された背景を含めて、賛成・反対の両論を併記するべきだろう。一方的に反対論ばかりを取り上げるのは公正ではないし、もっと言うと、偏向報道と言われても仕方がない。「報道各社の世論調査でも「慎重審議」を求める意見が、60%台から80%台を占めていた。」(東京新聞11/27)らしいが、法案の背景・内容もろくに報道せず、ひたすら反対論を垂れ流せば自ずとそういう結果になるだろう。

また、この法案が衆議院を通過した際も、マスコミはこぞって「強行採決」という言葉を使った。与党に加えて野党の一部も賛成したのに、これのどこが強行採決なのか。他の野党が反対しているじゃないかと言われるかもしれないが、民主党はともかくとしても、共産・社民など、いくら議論しようが反対の姿勢は変わらないだろう。「強行採決」という表現にマスコミの悪意を感じざるを得ない。

 私が不安なのは、こうしたマスコミの偏向ぶりである。特定秘密保護法案によって戦前に逆戻りするという飛躍した不安(妄言?)を口にする人がいるが、先祖返りしたのは、あの時戦意高揚を図り、国民を誤った方向へ煽動したマスコミではないか。いや、椿事件に見られるように、民衆を一定の方向へ誘導しようとする報道を行ってきたという点においては、戦中から変わっていないのかもしれない。しかも、そのマスコミが、国民の知る権利や民主主義を声高に叫んで憚らないのだから、危なっかしいことこの上ない。

「知る権利」とは、もともと行政情報を国民が自由に入手する権利を指すが、我々のような普通の人間にとって、そうした情報は主としてマスコミを介して知ることになる。そのマスコミが恣意的な報道をするのだから、マスコミに知る権利を守れと政府に言う資格があるのだろうか。政府がきちんと情報公開をすることが重要なのは言うまでもないが、公開された情報をマスコミが偏りなく報道することも同じくらい重要だ。「報道しない自由」などと嘯いて、情報を勝手に取捨選択するようなことは許されない。

また、民主主義の発展にとって、マスコミが多面的な視点・価値観に沿って多様な情報を提供することが求められるはずである。にもかかわらず、単一の価値観しか報じない今の姿勢は果たして民主主義にとって良いことなのか。それで民主主義が守れるのか。民主主義が危ないと言っているマスコミの皆さんには、もう一度よく考えてもらいたい。いやしくも、この法案を廃案に追い込むことこそが民主主義のためになるのだと思い上がっているのなら、それこそマスコミという第四の権力の暴走に他ならない。

(坂木)