2014年2月8日土曜日

書評:『誰も書かなかった「反日」地方紙の正体』

 私事になるが、私は某全国紙を購読しているので、普段「地方紙」と呼ばれる新聞を読むことはあまりない。まして、地方紙は各都道府県にそれぞれ一紙あると言ってよい。私を含めた多くの人にとって、それを全て読み比べるということはないだろう。

 そうした中で、本書を読んで地方紙の一端を知ることができた。本書の主張を要約すると次の二点に尽きる。

1.地方紙は共同通信の絶大な影響下にある
2.共同通信の影響もあり、地方紙の多くが左翼的・反日的な記事を掲載している

 地方紙の偏向ぶりというと、北海道新聞や中日新聞などが度々話題になる。確かに本書を読むと、地方紙の多くが左翼的な報道をしている印象を受ける。扶桑社版歴史教科書に反対、菅談話賛美、田母神バッシングなど、地方紙がいかに偏向しているかという例で満ちている。

ただし、本書を読んだだけでは、本当に地方紙の多くが左翼的・反日的な報道ばかりしているのかを判断することはできない。例えばある地方紙では、夫婦別姓には慎重な立場をとったり、菅談話に疑問を呈したりする一方で、終戦記念日の社説ではイラク派遣反対・改憲反対を唱える。必ずしもすべての地方紙が一貫して左翼的だというわけではなさそうだ。

私にとって驚きだったのは、共同通信の影響力のほうだった。共同通信は各地方紙にニュースを配信している。地方紙は、各々の地域のニュースを取材することには長けているが、国政をはじめとした全国ニュース・海外ニュースに関しては手薄になる。地域のニュースだけを記事にするわけにもいかないから、全国・海外ニュースは共同通信に頼らざるを得ないのだ。こうして共同通信の価値観を反映した紙面になってしまう。共同通信が配信する記事には偏った内容のものも少なくないので、そうした影響もあって、地方紙が左翼的・反日的になってしまうのだろう。

特に驚きだったのは、共同通信が社説までも提供しているという事実だ。「資料版論説」という名前だそうだが、これを地方紙が社説として使用するので、同内容の社説が各紙に掲載されることもある。社説とは文字通り各紙の主張を述べる場であるはずだ。他社から仕入れたネタをほとんどそのまま流用するとは、その社説に果たして意味があるのだろうか。いくら地方紙が全国ニュースに弱いといっても、社説すらも共同通信に依存するとは、新聞社としての独自性が問われかねない。せめて「共同通信」の署名を載せるべきだろう。

本書の中で日下公人が次のように述べている。

「要る新聞(生き残る新聞)」と「要らない新聞(消える新聞)」を分かつものは何かを指摘すれば、記事や評論を「自分で調べ、自分の頭を使って書いているか否か」であり、目先の読者の利益と一致しなくとも、国家(郷土)百年の計のために筆を揮えるかどうか、そうした損な役回りをやれるかどうかである。


まったくもって同感だ。たとえ自力で記事・社説を執筆することが難しくとも、共同通信から配信される記事や論説に偏りがないかどうか精査し、表現を改めることはできよう。それすらも怠り、他社からの記事をそのまま垂れ流すだけでは、地方紙に未来はない。

(坂木)