2012年12月1日土曜日

政党の耐えられない軽さ




 先日、gerira氏から挑発的な文章が寄せられた。相も変わらず小賢しく偉そうな文章である。解散総選挙で浮かれているわけではない。浮かれているというよりも、政治の混乱に半ば呆れつつ事態を見守っているという感じだ。

 特に私が憂慮しているのは、政党の劣化である。政党が出来ては消え、あるいは他党と集合する。政党とはかように軽薄なものだっただろうか。某与党議員の言うように、政党は選挙互助会になり果てたのだろうか。

 衆議院解散直後、与党・民主党から多数の離党者が出た。彼らは、他党に入党したり、新党を結成したりした。こういう輩には、自身が所属する政党に対して忠誠心というものがないのだろうか。まがりなりにも今まで自身が所属してきた政党であるにも関わらず、自身の当選が危うくなれば平気で離党する。彼らにとって政党とは、その程度の存在でしかないのだろう。そうした人間が、国家・国民に対して忠義を尽くすことなどできないと私は思う。だから、そうした連中及び連中が結成した政党など、信頼に値しない。

 政党という存在がかつてないほどに軽薄になっている。そう思わせる例は他にもある。太陽の党が、日本維新の会と合流するために、いとも容易く解党した。日本未来の党に合流するため、国民の生活が第一が解党された。後者に至っては、候補者のポスターに党名を入れるなという指示があったというのだから驚きである。

 このように政党は、お気軽につくれるし解散することもできるものへと変貌してしまった。無論、同じ主義主張を持つ人間が集まることは悪いことではない。その過程で、離合集散が起こるのも仕方がないことかもしれない。ただ、バークが定義したように、政党とは「ある特定の主義または原則において一致している人々が、その主義または原則に基づいて、国民的利益を増進せんがために協力すべく結合した団体」である。そのことを自覚している議員がどれほどいるだろうか。政党とは、自分が選挙で当選するための道具でもなければ、政権をとるための道具でもない。

(坂木)