2014年5月18日日曜日

集団的自衛権をめぐる考察

 ここでは、最近議論の的となっている集団的自衛権について、私の見解を述べたい。まず、私の立ち位置をいうと、集団的自衛権の行使容認には賛成である。そして、それは原則的には憲法改正によって実現されるのがベストだと考える。よって、現在安倍政権下で行われている憲法解釈の変更による行使容認は、ベストではないにしても、反対はしないという立場である。なお、念のために申し添えておくが、ここで論じているのは、あくまでも包括的・一般的概念としての集団的自衛権であり、安倍政権が目指すそれとは必ずしも一致しないかもしれない。安倍政権下における集団的自衛権が具体的にどこまでを可能とするものなのかは、今後の協議の推移を見極める必要がある。

 では、なぜ集団的自衛権の行使容認に賛成するのかについて述べたい。国際貢献という観点からはもちろんだが、何よりも集団的自衛権の行使容認は、日本の安全保障にとってメリットが大きいからである。

 行使容認によってアメリカの戦争に巻き込まれるという批判がある。心配する気持ちもわからなくはないが、私は逆に、行使容認が、アメリカを日本の安全保障に積極的にコミットさせる圧力になると考える。

 現在、日米安保条約によって、アメリカには日本を防衛する義務があるとされる。しかし、日本にアメリカを防衛する義務はないし、集団的自衛権が行使できないとされる以上、事実上不可能である。そのような中で、果たしてアメリカがいざというときに助けてくれるのだろうか。いくらアメリカの大統領が、尖閣諸島は日米安保第5条の適用対象だと宣言したところで、実際に尖閣諸島が侵攻された場合に、米軍が動く保証はない。ただでさえ内向き志向が強くなったといわれるアメリカである。有事の際、「日本はアメリカのために戦ってくれないのに、なぜアメリカが日本を守らなければならないのか」という批判があがることは想像に難くない。少なくとも、片務的な防衛義務は、アメリカ政府にとって米軍の介入を躊躇させる口実を与えることになる。このように、片務的な防衛義務は、日本にとっても、アメリカが助けてくれないのではないかという懸念材料となっている。

 しかし、集団的自衛権を行使することが可能になり、双務的な防衛義務を負うことになればどうだろうか。そうなれば、アメリカは必ず日本を防衛しなければならない状況に追い込まれるだろう。なぜならば、双務的な防衛義務においては、「日本はアメリカのために戦ってくれないのに、なぜアメリカが日本を守らなければならないのか」という言い訳は通用しないからだ。つまり、先ほど述べた懸念は払拭されるのである。もしアメリカが、日本に危機が訪れた際に静観しているだけならば、日米同盟は完全に破局を迎える。それは即ち極東地域のパワーバランスの崩壊を意味し、中国や北朝鮮などの躍進を許すことになる。アメリカが極端な孤立主義に回帰しない限り、それはありえないだろう。したがって、行使容認は、アメリカを日本の、あるいは極東アジア地域の安全保障戦略に巻き込む強力なカードになるのである。そして、双務的な防衛義務で結ばれた、より信頼度の高い日米同盟は、取りも直さず中国や北朝鮮に対するより強固な抑止力となる。


 以上のように、集団的自衛権の行使を容認することは、日本の安全保障にとって大きな恩恵をもたらすのである。

(坂木)