2011年5月28日土曜日

公共事業は日本を救う・・・、のか?(1)

最近、ネット上にて藤井聡京都大学教授の人気が非常に高いようだ。

確かにしゃべりはうまいし、聞いているとそんな気にさせられている。藤井氏曰く、公共事業をすれば日本は救われるのだそうだ。長々と述べておられるが、要はこういうことである。

①日本には数十兆のデフレギャップ(需要不足)が存在する。これが解消されない限り、日本経済は縮小傾向に歯止めがかからない。

②規制緩和・官業の民営化などは供給サイドの改革であり、どちらかといえばデフレギャップを拡大させる方向に作用する。(なぜならば需要は増えないのに、供給側は『構造改革』により生産性が向上し、少ない労働力で大量の供給がなされてしまうから)

③貨幣量増大(いわゆるリフレ政策)はヘタレの政策であり、効果は乏しい。

④公共事業はコンクリート、鉄鋼だけにとどまらず、様々な産業への波及効果が大きい。さらに需要サイドへのギャップ解消の効果が期待できる。

よって公共事業は日本を救うのである。本当だろうか?具体的・定量的なお話は(2)以後に譲るとして、今回は、定性的な話をもとに、ひとまず結論を言い切ってしまうことを優先する。(2)以後は輸出依存度の話や公共事業の効果について少しずつ定量的な話を混ぜていきたいと思う。

1990年代末~2000年代初め、小渕内閣において毎年10兆円規模の補正予算が組まれ、景気刺激策が行われた。その後、小泉内閣への移行期において景気は急速に後退した。小渕内閣の間、確かに日本経済は回復基調となっていた。30兆円枠を掲げ、緊縮財政路線へどちらかといえば転換した小泉政権では初期に景気は悪化した。では、やはり公共事業のおかげだったのだろうか?

答えはNoである。小渕政権での景気回復も小泉政権後期での景気回復も国際的な景況感の改善という側面が大きい。小渕政権期はまさにアメリカでITバブルが勃興していた時期である。日本でもIT系企業が上場すればどんな株でも暴騰するようなバブリーな時期である。(実際の街角景気ではそれほどの改善は体感できなかったが)小泉政権前期で景気が悪化したのは緊縮財政を敷いたせいではない。いや、正確に言えばそういった側面が0ではないが、主因はアメリカにおけるITバブルの崩壊であって反小泉陣営が言うような「100%小泉が悪い」には程遠い。私は経済学者ではないから定量的に値を示すことは出来ないが、直感的に数値化してしまえば、せいぜい20%かそこらであろう。

むしろ小渕政権であれほど公共事業を繰り返し行っていたにもかかわらず、効果が持続しなかったことに注目してほしい。小泉政権でも世界的な景況感が改善したときにはそのまま景気は回復していった。公共事業は毎年切り詰められていたのに。

国際的な資金流動が自由化された現代では公共事業の効果は大きく減衰される。当然である。資本がより利益の出る国・地域に流出してしまうので、公共事業でいくら金を使ってもそのまま国内で還流し続けるとは限らないのである。日本ではいくら公共事業を行っても、それに付随して生じる需要・設備投資効果はほとんど見込まれない。公共事業を行ったエリアに投資しても十分な利益が見込めないから。そういった効果を見込めるような公共事業はほとんどなくなってしまったのである。

現代社会において「公共事業は日本を救う」といったケインズ曰くの分かりやすい主張は通用しない。決して私はケインズの主張を全否定するわけではないが、少なくとも日本においては効果が薄れつつあることは否定できない。

私から言わせてもらえれば、日本で景気刺激を行うことは至難の業である。日本に投資して損はしないと思わせるような仕組みが必要なのである。具体的には未来のインフラを整備し、民間の投資を呼び込むことが必要なのである。ちょっと無謀な例だが、あえて例示してみると、

①水素社会、スマートグリット、クリーンエネルギーの集中立地によるエネルギー自給率50%の実現
②ITSの推進による高速道路での渋滞撲滅(だいたい10分の1の車両を自動走行で速度調整すれば、2倍の交通量が実現できるらしい)
③ユビキタス社会実現のための著作権・情報通信政策の見直し
④無規制の特区創設(無税・無規制で国有地を貸し出し。日本版ドバイみたいなのを複数作る)
⑤建蔽率の緩和や建築規制見直しによるベイエリア再開発
・・・、

アイデアは色々あるだろうが、ここで示したいのは技術的に発展性があったり、投資の誘発効果の高かったりするものを優先して採用すべきだということである。ただの橋やダム、トンネルの建設は、そこに伴う民間の投資をほとんど促さない。かつての田中角栄のように「日本改造計画」を提案して、それに儲けを見出せるような環境ならば、それもありなのだが、今の社会において藤井氏がいくら「日本強靭化計画(笑)」などを提案しても民間企業はそこに儲けの香りなど感じはしない。

むしろ日本のエネルギー自給率を2020年までに50%にするとか、全ての商取引の半分を電子商取引にするとか、技術ベンチャーのGDPに占めるシェアを10%以上にするとか、外資系企業の対内投資GDP比を10%にするとか、規制を全面的に取っ払った総合特区を整備するとか、医療ツーリズム100万人受け入れなど大胆(無謀?)な目標を掲げて、最低限の環境整備をした上で、民間の活力を高めるように誘導することが今の政府には求められているのである。

政府が主人公の時代は終わりつつある。それは市場があまりに肥大化しすぎてしまったからである。しかし、それは政府の役割が終了したことを意味しない。政府と市場はそれぞれ異なった視点を有している。政府は長期的視点、市場は短期的視点に偏りがちである。そういう意味で互いに補完的な関係を有している。

だからこそ、政府は市場に足りないものを補い、市場を活性化させる、サポートする、そして市場の暴走を監視する(事前審査から事後監視へ)という重要な役割を果たしえるはずだと信じている。