2012年1月24日火曜日

久しぶりに、、、

最近では私も橋下市長のように(くだらない)批判ばかり受けるのであるが、橋下市長よろしくそろそろこのへんでそのような手合いに反論をしておこう。

 橋下氏はよく、学者を批判する。曰く、学者の存在価値とは何か、あるいは学者はどのように社会に貢献しているというのか。

 橋下知事は人文科学に真っ向から勝負を挑んできているのである。ならば、批判をするのであれば己のraison d'etreをかけて彼に挑むべきではないか。

 あなたがたがしてきた仕事とは何なのか。それにはどのような意味があるのか。
 そんなこともろくに答えられないのでは橋下氏に論破されても仕方がない。

 日常を揺さぶられることを恐れるが故に、何がしかの理屈をつけて敬遠するヘタレ。
 「リベラル」という衣をまとい、甘えを糺そうとしない連中。
 「保守」というおふだをはって、今までと同じゲームを続けようとする輩。

 リベラルとは甘えるためのいい訳などでは断じてない。
 保守とは安っぽいファイアーウォールなどでは断じてない。

 中野剛志に敬意を抱くことなどありえないと思っていた。彼は保守とは「卓越した経験に基づいた大人の知恵」と言っていた。本当にそうだと思う。


 甘えを克服し、他者に対して最大限の理解を示すこと、その先にリベラルの理想郷は現出する。
 己の実存をかけて危機に立ち向かうこと、その先に保守主義の叡智が宿る。

 ものすごいシニフィアンに出会うとき、人は今までとは違う世界に引きずり込まれる。
 もうもとには戻れない。まさにホラーのような世界。


 そんな経験をしたことがあるだろうか。話はそれからだ。

                                          (文責:gerira)