2011年8月27日土曜日

書評『〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性』

 先日、大変興味深い本を読んだ。小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性』である。本書は丸山眞男、竹内好、吉本隆明、江藤淳、鶴見俊輔など戦後の思想家の生い立ちと思想を紹介しながら、それらを通して戦後日本のナショナリズムと公共性のあり方の変容を提示している。950ページ以上の大著ゆえ詳細な内容は割愛するが、私が感じたことを述べたい。

 まず感じたことは、戦後はナショナリズムが否定されたわけではなかったということである。もっとも、筆者は戦後を二つに分けて、終戦から1955年前後までを「第一の戦後」、そこから90年代までを「第二の戦後」と呼んでいることにしたがえば、ここでいう戦後は「第一の戦後」のことである。「第一の戦後」においては、左右を問わず新たなナショナリズムの形が模索された。例えば、丸山眞男は戦中の超国家主義的なナショナリズムを批判し、国民に根差した主体的なナショナリズムを示している。また共産党も、当時の政府を対米従属とその象徴たる憲法9条を批判し、民族の自立を訴えた。ちなみに、今日では考えられないことだが、当時「世界市民」という言葉はブルジョワジーと同一視され、共産党などの左派からは批判の対象となっていた。このように、当時は左派でもナショナリズムは肯定されていたのである。むしろ、反米や憲法9条反対といった当時の共産党の姿勢は現在の保守派の姿勢に近い。

 では一体どこで現在のような左翼と右翼の思想が形成されたのだろうか。筆者によると、それは六〇年安保闘争前後の時期から、すなわち「第二の戦後」からのようだ。共産党のような既成の左翼勢力に反感を持った全学連や全共闘の学生などが中心であり、彼らは共産党や、丸山眞男や竹内好のような知識人を批判し、反民族主義、反権力などを掲げたのであった。このように考えると、現在の保守論壇でよくなされる“戦後民主主義批判”は実は「第二の戦後」を批判しているのである。

 以上のような筆者の主張が本当であるとするならば、学生運動が日本の社会のみならず思想に与えた影響というものは非常に大きいし、我々のような保守派からいえば学生運動こそが今のような左派思想の状況を生み出してしまった元凶であるといえるだろう。仮に学生運動がなければ、左翼も未だに「真の愛国」を唱え続けていたかもしれない。

 次に感じたことは、戦後思想にとって戦争体験というものが与えた影響の大きさである。戦争体験といっても個々人によってその内容はさまざまであるが、そうした体験が基礎となって思想が形成されたといってよい。しかし、それは良い面、悪い面両方を併せ持つといえる。良い面は、思想が単なる抽象に留まらず、ある種のアクチュアリティを持ったものになったということだ。丸山眞男の思想は戦争体験を経ずには生まれなかっただろうし、戦争を体験した者だからこその説得力もある。悪い面は、実際に体験したからこそ、戦争というもの、あるいは戦中の社会のありようを客観視することが困難になったことであろう。思想家それぞれが異なった戦争に対する認識を持つのもこのためである。

 それは現在の我々にもいえることである。我々の多くは戦争を体験したことがない。それは我々の弱みでもあるし強みでもある。戦争を体験していないからこそ、戦争をいたずらに美化してしまうこともあるかもしれないが、同時に戦争を客観的に、冷静にみる視点も備わっているのである。

 以上のように、本書は我々が一般に抱いている戦後とは異なったそれを提示している。私自身も本書を読むまでは「戦後=国家の否定、個人を重視」というステレオタイプを抱いていたが、必ずしもそうではなかったことは上述した通りである。

 しかしながら残念な点もある。それは本書の結論の部分である。今まで多くのページを費やして戦後とその思想をたどってきたにもかかわらず、結論においては現在の保守派に対する陳腐な批判がなされている。「戦後は公を捨てて個ばかりを重視した」という保守派の常套句を誤った戦後認識だと批判し、保守派の言説の有効性に疑問を呈しているわけである。しかしながら、私はそのような保守派の言説が誤ったものだとは思わない。思想や言葉が個人の生まれ育った時代や環境に大きく影響されることを本書で示していたのではなかったのか。だとすれば保守派の人々が自身の生きてきた“戦後”をそのように認識し、それを批判することも決して誤っているとはいえない。なぜ丸山や竹内、吉本、江藤などの戦後認識を批判せず、現在の保守派だけを批判するのか。それは筆者がどちらかといえば左派の学者であるというのもあるだろうが、もしかしたら筆者には戦争を体験した者を特権化する意識があるのかもしれない。さらにいえば、筆者の示す戦後像も時代や環境に依存したものであるという可能性も当然出てくるだろう。

 ただ、本書全体としては大変興味深いものであり、戦後という時代を考える上で参考になることは間違いないだろう。本書に対してはさまざまな評価が存在するようだが、少なくとも戦後認識のあり方のひとつとして尊重するべきである。その意味では是非とも一読を薦めたい一冊である。

(坂木)