2011年12月2日金曜日

奇妙なすれ違い1

本来ならば橋下氏の当選についてのコメントを寄せるべきところであるが大して書くこともないので別の話題にしたい。強いて挙げるとすれば、大学の数を減らして、補助金を集中して交付するように改革してもらいたいということぐらいである。



 さて本題。たまに社会がずば抜けて良い人間が存在する。模試で高順位であったり、教室の片隅で政治について語っていたり。かくいう私も幼稚園時代にそのようなテストがあればおそらくかなりの高順位だったであろう。その当時は日本の都道府県や県庁所在地はもちろん、世界各国の場所や国旗まで全て覚えていた。何しろ幼稚園でオウム真理教について熱心に語っていたというませたガキであった。

 このような人間の背景には社会に対する尋常ならぬ関心が背景にあるだろう。彼らの行動パターンとして考えられるのは、例えば以下のようなものである。


・家族や親戚、地域などへの帰属意識が高い
・野球に対する関心が結構ある。
・大河ドラマや朝の連続テレビ小説を見ている
・社会人的な話し方をする
・人の話をあまり聞いていない
・下ネタが苦手である
・芸能関係の話にはそこそこ興味がある
・芸術に対する関心が薄い
・小説や文学は理解できない
・哲学も理解できない
・映画はあまり見ない
・心情の機微がわからない
・秀才は多いが天才は少ない
・表層的な理解はできても(むしろものすごく得意)深層的な理解には達しない
・センスはさして悪くない


誤解しないでいただきたいが、これは批判ではない。
僕が考えたいのは、なぜこのような傾向を示す人間が一定数存在するのかということ。

これをより客観的な指標に置き換え、数値化し解析すれば、かなりいい社会学の論文がかけそうである。

というわけで、これも連載化し、論考を深めていきたい。



(文責:gerira)