2012年9月8日土曜日

書評:『もし小泉進次郎がフリードマンの資本主義と自由を読んだら』

(あらすじ)

2013年に民主党が下野。消費税増税はかろうじて実現するが、歳出削減は停滞し、景気低迷もあって、財政再建は遅々として進まない。2015年に札落ちが発生。これに対して、国債を買い支えるため、日本政府は日銀に余った国債の全量買い上げを要請するが、これが市場に国債の信用低下のシグナルを送り、急激な国債暴落が発生。

自民党にてこの危機に対して、若手を中心にして担ぎ上げられた小泉進次郎はこの難局に対してどのように立ち向かっていくのだろうか?

(感想)

新自由主義者の有識者として有名な池田信夫氏が原作である。

基本的なストーリーの下敷きは、財政再建論者の国債暴落論に基づいている。不況を背景として、銀行は安定的な投資先として国債を積極的に買い上げている。また個人資産が国債残高を上回っているため、国内で国債のほとんどを消化できている。よって国債は非常に低率で借り入れることが可能となっている。しかしながら2010年代後半には、個人金融資産と国債残高がクロスするとされており、そうなれば外国人投資家の国債保有率が高まることは目に見えている。そうなれば国債はヘッジファンドなどからの空売りの脅威に常にさらされることになる。

一度、国債が暴落すれば、邦銀の財政基盤を大きく損ねる。というより大半の銀行が破たん処理せざるを得ない状態に追い込まれる。

池田信夫氏はこうした難局を乗り切る策として、小泉進次郎というキャラクターに自己の主張を代理させている。つまり、徹底した小さな政府と財政再建である。例えば、年金の民営化、ベーシックインカムの導入とその他の社会保障の全廃、徹底した規制緩和やバウチャー、職業免許の廃止などである。また、橋下徹氏という人物を出して、関西地方を「一国二制度」のような仕組みの下で、法人税0、改革の先行実施特区とする構想も飛び出している。個人の信条については今までのブログ記事から読み取っていただきたい。そうすれば、それぞれの政策に対して、個人的にはネガティブな感情を持つものではないことがお分かりいただけるだろう。

だが、池田信夫氏の主張にはある違和感を感じる。この小説?を読みながら、おぼろげながらその原因について理解できたように思えたので、その感想を述べたい。この小説は、日本観についてある前提を持っている。「日本人は外圧でしか変われない存在」であり、「過剰な同意性」を持つ存在だというのだ。これらは池田信夫氏が常時主張していることである。

こうした薄っぺらい日本観は、バブル崩壊後に、米国型経営スタイル、経済スタイルを賞賛した経営コンサルタント、経営者たちと非常によく似ている。何かを絶対悪とし、自らを正当化することから、より「ましな」社会は形成できない。何かを絶対悪とし、自らを正当化するために構築された日本観を持つグループは非常に多い。既得権益により小沢一郎は失脚させられたと考える小沢信者や、中韓・電通に社会が支配されていると考えるネトウヨ、脱原発でなければ人でないといわんばかりの左翼勢力・・・。ありとあらゆるグループが偏った日本観を押し付け合っている。

「正しい」日本観など存在するはずもない。1人の人間が日本のすべての事象を理解することなど困難なのだから。しかしながら、何かを絶対悪としない日本観を持つことは、今日よりましな日本を創っていくための必要条件であろう。

池田氏よ、あなたもか?今までも経済学的議論はさておいて、哲学的な部分の乏しさに失望を禁じ得なかったが、改めて、その底の浅さを感じてしまう1冊であった。

(執筆者  43)