2012年9月8日土曜日

F教授の考え方に対する個人的見解並びに考察―Part5


      前章にて、「大きな物語」の喪失こそが日本の問題であり、その本質的解決が難しいことを主張した。そのうえで、ミクロの積み重ねによる解決こそが重要であると主張した。具体的には、グローバリゼーションに積極的に対応しつつ、その問題点を共同体・祖国愛の復権という形で回復することを主張した。
一方、F先生の理論は、「命を守る」という人間の最も根幹となる欲求と、公共心を復活させやすい題材を選ぶことによって、日本社会全体が同意しえる大きな物語を再構築する動きととらえられる。また、構造的方略を批判し、心理的方略を賞賛するのは、グローバリゼーションを称揚し、「構造改革」を主張する日本の知識人層に根付いた考え方を塗り替えようと試みているためであろう。
もしF先生の考えが成功すれば、前章にて否定した新たな日本の「大きな物語」を再構築することは不可能ではないかもしれない。しかし、私は現実的には難しいであろうと考える。防災対策は「命」というところを絡めたとしても国民全体のコンセンサスとはなり得ない。なぜか?
我々は短期的リスクには敏感だが、長期的リスクには鈍感である。また確実に30年以内に地震が起こる保証があれば、コンセンサスは得られるであろう。しかし、首都圏を除きそのような保証はない。まして、完全な防災対策があり得ない以上、リスクを軽減できるだけに過ぎない防災対策への優先度はどうしても低くなりがちである。多様な価値観の中では、どうしても防災対策と国土軸の多軸化のみで新しい「物語」を構築することは困難である。
したがって、F先生の考え方が新たなるストーリーとして復活するかは疑問である。ただ、大きな物語をもし復権させることはできるのであれば、本質的解決につながる大きな一歩である。藤井先生の挑戦にはその点で非常に大きな感銘を覚えるものである。


一応、このシリーズに関してはこれでおしまいである。しかし、このシリーズのきっかけになったF教授の講義について、講義録をまとめてほしいとの要望をいただいた。なので、機会があれば、F教授講義録として掲載させていただきたい。