2012年9月8日土曜日

F教授の考え方に対する個人的な見解並びに考察―Part4


ここで一旦、今までの議論から離れて、そもそも今の日本が抱える問題とは何かを検討したい。現在、日本は多くの問題を抱えている。表1にいくつかの課題提起とそれに対する私なりの対策を記した。
こうした対策には異論・反論もあろうと思われる。F先生の考え方からすれば、反対の考え方といっても過言ではない。なぜ、グローバリゼーションに抵抗する政策ではなく、グローバリゼーションを促進する政策と手当てする政策の組み合わせが望ましいと考えたのか、それを説明するためには問題の根幹をしっかり考える必要がある。
日本は、江戸時代にて非常に優れた道徳[1]と文化を持つ国であった。日本は常に中国からの影響を強く受け続けてきた。文明の水準も中国と比べて必ずしもすぐれたものとは言えなかった。しかし、日本が鎖国し、国内で文化を熟成させる機会に恵まれたことで、優れた文化が生まれた。しかし日本のもつ村落共同体としての性質は江戸時代にむしろ強まった。
明治時代に入り、日本社会は江戸時代に形成された古い構造を温存しながら、近代化を続けてきた[2]。むしろ歴史的に見れば、日本が欧州と比べて遅れて文明開化を迎えた以上、帝国主義に対抗するためには意図的に上滑りしなければ日本の自主独立も危うかっただろう。それでも日本は日本の持つ江戸時代の特異な環境、文化水準[3]によって、上滑りの文明開化にもかかわらず、比較的スムーズに西洋文化を吸収できた。とはいえ、日本国民は決して、市民革命のようなものを経験していないから、西欧的な文脈で求められるいくつかの要素[4]が欠落し、問題を抱えている。
一方、戦前の日本社会では、日本的な村落共同体や家父長制による家族制度が強固に残っていた。個人の自由を尊重する戦後民主主義に基づけば、これらは個人を抑圧する構造に他ならないのであるが、一方で浮遊した個人を押さえる役割も果たしていたのは確かである。これが戦後になって、GHQによって軍国主義の温床であるとして、何の手当、下準備もなく、解体された。しかし、「豊かになること」が日本国民の意識となり、社会の崩壊や意識の旧さは大きな問題とはならなかった。しかし、バブルが崩壊することによって、「豊かになること」は大きな物語たり得なくなった。
日本の抱える最大の問題は価値観の多様化による大きな物語の終焉である。
リオタールは、「大きな物語」の終焉を述べた。今、我々の社会はまさに大きな物語の終焉の中で、それを下支えするあらゆるものさえ失った状態にある。本来、村落共同体に代わる新しい社会構造が生み出されていれば、ここまで問題は深刻化しなかっただろう。しかし、戦前は「富国強兵」「一等国日本」であり、戦後は「自分が豊かになること」という大きなテーマがあり、また戦後は冷戦で大きなイデオロギー対立があり、そうした根本的問題は覆い隠されてきた。
社会は、閉そく感に対してどのような動きを示してきたか?1つは、グローバリゼーションに迎合し、GDPの増大、「豊かになること」を突き詰めることでバブル期までの旧き良き時代を復権させようとする試みである。これは、過去の大きな物語を復権させるもので極めて単純明瞭な考え方である。またグローバリゼーションの進展が(これからはさておき)、非常に大きな利益をもたらしてきたという事実もこの主張に対する説得力となっている。もう1つは、グローバリズムに対する抵抗として、ナショナリズムを称揚し、自己の尊厳を回復する試みである。こうした流れは1990年代から見え隠れしていたが、2000年代に入ると、一般人からネトウヨ・嫌韓流などのムーブメントが生まれた。私はナショナリズムを称揚する動きを全否定するものではない。日本が敗戦後、過度に過去を否定する誤った観念に支配されていたのは事実である。しかし、こうしたムーブメントがともすれば自民族優越主義的な感情の慰撫につながっていることは否定できない。
結論として、日本社会は、失われた大きな物語の代替となる新しい価値観を創出することに失敗している。その中で、我々が希望を再び獲得するために必要なことは、グローバリズムの推進のみでもナショナリズムの称揚のみでもない。エコノミックアニマルを生み出すことでも排他主義を生み出すことでもないだろう。「大きな物語」の再生という本質的な解決が極めて困難であるという客観的な事実を受け止め、ミクロの解決策を積み重ねていくしかない。具体的には、グローバリズム、「大きな物語」の喪失という科学技術の進展がもたらした事実を冷静に受け入れ、必要な政策を行うことである。また、グローバリゼーションがもたらす個人の疲弊、社会の疲弊、デメリットを最小化するために、古き良き価値観の再確認や共同体再生や祖国愛の回復を図ることである。



[1] 国学や日本独自の儒学、武士道と呼ばれるものの基礎は江戸時代に確立されたものといってよいだろう。
[2] 夏目漱石は「現代日本の開化」にて、日本の文明開化が外圧による外発的なものであり、皮相上滑りに過ぎないと批判した。
[3]①寺子屋をはじめとした高い教育水準、②工場制手工業など産業水準が近代化のための最低水準に達していたこと、③天皇陛下という絶対的存在が、江戸幕府以後の身分制度廃止、中央集権化という大改革をスムーズに行わせたこと、④天皇陛下の存在と教育制度の確立が、国民意識の早期定着に役立ったこと
[4] ①市民革命を経験していないために弱い公民意識、②ムラの掟に基づき、法律に対するあいまいな意識(山本七平)、③情緒・心情に依拠した感情論の強い日本社会