2011年6月11日土曜日

情報強者たれ

近年の情報技術の発達には目を見張るものがある。その中で最近、いやずいぶん前から「情弱」という言葉がネット上で使われている。「情弱」とは情報弱者の略でインターネットなどのIT技術に疎い人たちを揶揄する言葉である。

彼らが情報弱者と攻撃する対象には一体どんなものが挙げられるのだろうか、以下に2chからの引用を示す。


<情弱が使いそうなフリーソフト>

*情報弱者
【ブラウザ】Sleipnir2、Lunascape、IE8
【メーラー】OutlookExpress、EdMax
【ランチャー】CLaunch、Clocklauncher
【ファイラー】MDIE
【動画再生】WindowsMediaPlayer、GOM Player
【音楽再生】iTunes、Winamp
【セキュリティ】avast!、ZoneAlarm、Ad-aware

*中級者
【ブラウザ】Google Chrome、Donut RAPT
【メーラー】Thunderbird、Gmail
【ランチャー】Arttips、bluewind
【ファイラー】だいなファイラー、まめFile5
【動画再生】VLC、DV、GesPlayer
【音楽再生】Songbird、Fittle、Lilith
【セキュリティ】AVG、ComodoInternetSecurity、Spybot

*上級者
【ブラウザ】Firefox3、Opera、KIKI、unDonut+mod
【メーラー】Becky!InternetMail、秀丸メール、Gmail
【ランチャー】Orchis、fenrir、CraftLaunch
【ファイラー】X-Finder、あふ、内骨格
【動画再生】MPCHC、Qonoha、KMPlayer
【音楽再生】foobar2000
【セキュリティ】AviraAntiVir、BitDefenderCL、OnlineArmorPersonalFirewall、
SpywareTerminator、SpywareBlaster、SystemSafetyMonitor

<情弱のPCにありがちなこと>
http://blog.livedoor.jp/news23vip/archives/3004888.html



上のような定義ならば僕自身は情弱であるといわざるを得ない。
そもそもランチャーやファイラーといったものを最近まで知らなかったのだから。



ここで、「真の情弱とは」云々、そんなものは馬鹿げているとH氏のように「良識的に」反論するのもいいが、あえて2chなどに書き込む自称「情強」な方々に寄り添って、哲学的観点から情弱を徹底批判してみたい。


僕は、この世界には「真理」と「真理の前提」が存在すると考えている。前者はが時代によって変化しない性質のものであり、後者は時代によって大きく変化する性質のものである。そして我々は常に既にその「真理の前提」によって真理へのアクセシビリティ(接続可能性)を得るのである。このように考えると、一見表層的に見える現在の様々なモノ、この例であればPCやネットワークなどの情報技術のアーキテクチャ、また当会でもよく話題に登ってきたFacebookやTwitter,mixiといったSNS(ちなみに僕はこの3つ全てに登録している、確か上田氏もFacebookの登録したんじゃなかったかしら、しかし・・・(ry)なども、真理へのパスとして重要であるといえよう。

かつては非常に隆盛を誇っていた人やモノ、その時代には是とされていた価値観などは、すこし時が経てばほとんど使い物にならなくなることはよくある。さらに言えば、前時代的な価値観をもった人間が、時代の変化に翻弄され、周囲からも、そして実存からも「疎外」されるという事態は枚挙にいとまがない。

時代の変化による意味論の変遷に鈍感なものは、現代社会においては即淘汰の対象となる(意味論(semantics)とは先に述べた真理の二重構造のこと)。なぜならば、真理や摂理から疎外されるからである。そしてそのような生き方はうつや最終的には自殺を招く。一見無価値であったとしてもそのようなものが決定的に重要である可能性が存在するのだ。


ゆめゆめ侮るなかれ、、、ナイナイの岡村が鬱で仕事を長期間休業した背景にはそのような事情があると僕は睨んでいる。

                                                                                                               (文責:gerira)