2012年7月21日土曜日

ファッショ化する反原発派


 近頃、反原発派がファッショ化〈全体主義化〉してきているように思う。そう思わせる事例がいくつかあった。
 
 まずは、先日行われた反原発デモに際して、作家の落合恵子が「今日ここに来ているのが、国民であり市民」と発言したそうだ。すなわち、デモに参加していない人間は国民や市民たりえないということだ。

 また、精神科医の香山リカは原発推進派を病気と診断した。「原発維持や推進をしようとする人は、私、精神科医として見れば心のビョーキに罹ってるヒトたち」「残念ながらもうカンタンには治りそうにない」「その人達の目を覚ます方法はただひとつ、私達が声をあげ続けること」と述べたそうだ。

 そして最後が、エネルギー政策に関する意見聴取会から電力会社関係者が排除されたことである。電力会社の社員と名乗った人物が聴取会で原発推進の意見を表明したことに対し、これはヤラセだという非難があがった。これを受けて、電力会社の社員は発言できないこととなった。

 これらの事例に共通しているのは、自身と異なる意見は、非国民だの、病気だの、ヤラセなどといってことごとく排除する姿勢である。これはまさにファシズムの思想である。

 自身の主張と異なる者に非国民というレッテルを貼ることはいうまでもなかろう。ファシズムというものは、多様な意見を認めない。

また、意見聴取会におけるヤラセ騒動は、ファシズムの陰謀論を彷彿とさせる。ファシズムにおいて、ユダヤ人は「ドイツ的でないもの」の全ての創造者であり、第一次世界大戦の張本人で大戦後のドイツの混乱を生み出した黒幕、つまりドイツの徹底的破壊を狙う大扇動者であるとされた。また、1933年の国会議事堂放火事件では、ナチスはこの犯行を共産主義者の陰謀であるとし、弾圧した。反原発派の間でも、「原子力ムラ」なる巨大な力を持った勢力がおり、彼らが国民の安全を犠牲に利権を貪っているという陰謀論のような考えがあるように見受けられる。今回の騒動でも、電力会社の社員は「原子力ムラ」によって送り込まれたスパイであり、抽選ではなく恣意的に選ばれたのだということだろう。


最後に、特に私が恐ろしいと思うのは、香山の発言に含まれる、ある種の優生学的思想である。ナチス統治下のドイツでは、弱者、民族の裏切り者、同性愛者や少年犯罪者、常習犯罪者、遺伝病者、精神病者などは「人格全体」もしくは肉体の「変質」を起こした種的変質者であるとされた。そして、こうした「劣等ドイツ人」は淘汰の対象とされた。香山の発言には、自分の意見に沿わない人間を病人とみなし、淘汰(まではいかないにしても更生)の対象とみる意図を感じさせる。ミシェル・フーコーの『狂気の歴史』にも通じる、危険な思想である。

このように、最近の反原発派は、ファシズムに対する親和性を顕著に持つようになった。しかし、これは必然の帰結である。なぜならば、反原発を支持している多くの人間が、いわゆる左翼であり、ファシズムもまた左翼思想であるからだ。ファシズムが左翼のイデオロギーであるというのは以前にも指摘したかと思う。異なる意見を徹底的に弾圧するその手法は、フランス革命以来続く左翼の常套手段なのだ。ちなみに、ナチスの正式名称は国家社会主義ドイツ労働者党であり、その名称からもファシズムがいかに左翼と親和性があったかを示している。

では、なぜ反原発運動は、ここまで過激化したのか。それは、結局のところ、彼らの再稼働反対・即時廃炉というような主張が、他の多くの国民に支持されなくなってきたからであろう。折しも、落合が「今日ここに来ているのが、国民であり市民」と発言したことは、まさにマイノリティーである自分たち自身を正当化(正統化)するための詭弁に他ならない。香山の発言にせよ、意見聴取会の騒動にせよ、異なる意見に病気だの陰謀だのというレッテルを貼り、自身の正当性を主張するための悪あがきに過ぎない。ファッショ化する反原発派というのは、彼らの主張が多くの人々の支持を得られにくくなった、その焦燥感の裏返しなのである。

(坂木)