2011年11月4日金曜日

日系人移民にみる保守派の冷淡さ

現在、ブラジルなどから日系移民を受け入れている。

日系移民をめぐっては、凶悪犯罪(カルロス八木が起こした性犯罪・殺人事件)などの問題もあるし、今までの無条件の移民受け入れに対して批判を受け、段階的に規制強化が進められている。僕自身、無条件の受け入れに対しては批判的だし、日系人だからいいとは思っていない。(彼らはブラジルに同化し、日本人としての風俗を概ね失っているのだから、無条件受け入れは論外であろう)

しかし、ネット上にいる保守派(ネット右翼)には1つの重要な見方が抜けているように思われるのだ。彼らは100年前、私たち日本人が棄民した人々の末裔なのだという事実である。国民国家において、国家の存在意義が認められるのは、その域内に存在する人々の利益を増進し、安全を保障することを責務としてはたしていることにある。しかしこれを100%果たせる国は先進国のごく一部に過ぎない。当然、明治時代の日本にはすべての国民に豊かな生活を保障することはできなかった。だからこそ、政府は国策として移民を奨励し、結果として彼らを「棄民」として扱った。それを私は否定しない。人口過剰だった明治時代の日本にとって、移民を奨励する政策は正しかったと思う。全員を養えるなど絵空事だった時代である。

しかし、彼らに対する同情の念、もし移住しなければ今の私たちと同様の豊かな生活ができたかもしれない2世、3世の日系人、同胞たちに対して、同情の念を失った国民国家に未来はあるのだろうか?在日コリアンやフィリピン、タイ人の問題と日系人を同列に扱い、等しく批判する人々は、この点について考えを持たなさすぎではないだろうか?

私は、移民受け入れ積極派だが、あくまで国益に沿う範囲内で制御しながら受け入れていくべきだと思う。つまりは、帰化を希望し、一定期間内に最低限の日本語の読み書き、風俗・文化への理解ができるように義務付けることで、単純労働力であっても受け入れを認め、そしてその要件を満たした場合に限り国籍を付与する(満たさない場合はビザを打ち切り、帰国させる)か、または高度な技能を有する者に限り、永住権を付与すべきであると考える。永住権を有する在日外国人に関しては積極的な帰化を促進し、一方で段階的に在日特権を撤廃していくべきだと考えている。

フランスのように無条件の同化をしても、どこかで無理が生じ、二級市民として扱われてしまうので、完全な同化は難しいし、不可能だと思う。しかし、「melting pot」で一定の文化的・言語的共通基盤があってそのうえで、「salad bowl」のように民族的な個性を発揮するという形を取ってこそ、社会の安定性は保ちながら、各民族の持ち味を生かした社会の活性化が果たせると思うからである。マイノリティの孤立を招かず、社会で同化を目指さなければならない。多文化主義者のようなお花畑の考え方にはくみしない。しかし、日系人は別である。帰化は必要だし、決して犯罪を犯そうが、社会に不安定要因をもたらそうが彼らを無条件に受け入れろと主張するつもりはない。しかし、もし彼らの受け入れがある程度の財政負担をもたらすとしても、彼らにはしっかりとした教育を施し、根気よく付き合っていくべきである。

今はその努力が実らなくとも、かつて見捨てた同胞を見捨てない姿勢は、国民国家として当然持つべき考え方であると確信している。

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