2011年11月15日火曜日

大阪都構想を考える

今回の大阪市長選ほど奇妙な選挙はないだろう。大阪市の首長を決める選挙で、候補者の一人が、大阪市を解体すると叫んでいるのだ。橋下氏は大阪市を解体し、周辺の自治体もまとめて東京都の特別区のようにするのだという。この大阪都構想が今回の選挙の大きな争点となっている。しかし大阪都という言葉ばかりが先行し、具体的に何を目指すのかということがあまり知られていないように思う。そこで本稿では大阪都構想を検討し、その理念に潜むイデオロギーを明らかにしたい。

①何のための“都”か

 そもそも、橋下氏が府知事就任直後に問題視していたのは府と市の二重行政の非効率性であったのだが、それがいつの間にか大阪都構想という壮大な話へとすり替わっていた。ではこの構想の目的は何なのか。大阪維新の会HPでは以下のように大阪都の意義を説く。

①広域行政を現在の大阪府のエリアで一本化する

②大阪市内に公選の首長を8から9人置き、住民に身近な行政サービスを担わせる

 とりわけ広域行政の一本化は、究極の成長戦略、景気対策・雇用対策であるとする。少々長いが引用する。

大阪の広域行政を一本化し、広域行政にかかわる財源を一つにまとめて、大阪全体のグランドデザインのもとに財源を集中投資する。大規模な二重投資を一掃し、世界の中での都市間競争に打ち勝つ政策を一本化する。

企業活動を活性化させる空港、港湾、高速道路、鉄道のインフラを整備し、人材を獲得しやすいよう大学等の教育機関の競争力を高める。従業員が暮らしやすいよう、病院や初等教育機関を整える。さらに、法人税の減税、規制緩和などを軸とする特区を設定する。また観光客を世界から集め、大阪で消費してもらう。このような政策を、大阪府、大阪市でバラバラと実施するのではなく、広域行政を一本化して、大阪全体のグランドデザインを描き、財源を集中投資し世界と勝負する。

大阪全体のGDPは約40兆円で、上海の2倍です。人口も大阪全体で880万人。ロンドンよりも人口規模は大きい。広域行政として一本化すれば、世界の都市間競争に打ち勝てる可能性は十分あります。この目標は、住民に身近なサービスをどうするかという問題ではなく、大阪全体のGDPを上げる、景気を良くする、雇用を拡大する、それに尽きます。大阪市内のことだけなく、衛星市を含めた大阪全体を成長させる切り札が、広域行政の一本化なのです。広域行政を一本化することで、本当にそんなにバラ色の大阪が待ち受けているのかと言えば、それは証拠では裏付けられません。

しかし、世界の都市のあり方(大ロンドン市、最近の台湾の県市合併、上海、ソウル、バンコクの都市の構造)を見れば、今のままの大阪市・大阪府分断都市では、世界の都市間競争に打ち勝つ可能性は全く0です。

しかしながら、彼らも認めているように広域行政を一本化することで、バラ色の未来が待ち受けているとはいえないのである。確かに、「大阪府、大阪市でバラバラと実施するのではなく、広域行政を一本化して、大阪全体のグランドデザインを描き、財源を集中投資し世界と勝負する」ことは重要である。しかしなぜそれが都構想でなければ実現できないのかという議論は全くない。「今のままの大阪市・大阪府分断都市では、世界の都市間競争に打ち勝つ可能性は全く0です」となぜ断言できるのか。後述するように、府と市との協力という選択肢はあらかじめ排除されている。ここに論理の飛躍を感じるのである。

大阪都構想で、大阪の成長が見込めるのかどうか、ここを深く議論すべきです。 今のままの大阪府・大阪市の関係で大阪は成長するのか? それとも仕組みを変えるべきなのか? 大阪都構想は、借金頼り、増税頼り、国からの交付税頼りにならない、成長の仕組みになるのか? ここの議論が重要であり、この議論は今の大阪府自治制度研究会が深く精緻に議論しております。

 彼らがいうように必要なのは、大阪都構想で大阪の成長が見込めるのかという議論だろう。内輪だけでの議論ではなく、もっと公開の場で盛大に議論するべきなのである。

②その恐るべきイデオロギー

 橋下氏および大阪維新の会のやりかたをみていると、どうしても革命を想起してしまう。実際に彼らの発言からは、民主主義的手法ではなく革命的手法により大阪市という権力機構を一挙に破壊しようとする、恐るべきイデオロギーを感じてしまうのだ。

 橋下氏のマニフェストの表紙には以下のような文言が掲げられている。

権限・財源を今の権力機構(体制)から住民に取り戻します。

この選挙が、まさにその権力機構の長を決めるものであるにもかかわらず、権限・財源を住民に取り戻すのだという。さながらこれは選挙ではなく、革命であろう。

維新の会HPでは、大阪都構想の必要性を次のように説く。

なぜ府市の対話と協調ではなく、いきなり統合、都構想なのか。大阪の成長戦略への投資は歴代首長や行政パーソン、議員がこれまで30年議論し続けてきた。財界も主張し続けてきた。だが総論賛成、各論反対でほとんど進まなかった。これまでろくにできてこなかった大阪全体の成長戦略投資を、たかだか最近はやりの「熟議」で打開せよというのは、無責任な傍観者のコメントに過ぎず一顧だに値しない。

また次のようにも述べる。

これほど大きな体制変革を行うとすれば、摩擦や紛争は避けられない。「仲良く話し合いを」「既存の制度のなかでの調整を」と主張する他地域の識者の皆様には、そうした不用意な発言こそが日本をここまでだめにし、また大阪の既得権益勢力を支援するということを自覚いただきたい。

このようにして議論の必要性を排除するのである。しかも先程みたように、一方では議論の必要性を説いていたにもかかわらずである。確かにここに書いてあることは必ずしも間違いとはいえないが、それにしてもここまで露骨に話し合い不要と叫ぶのは、民主主義の否定とも受け取れる。彼らのいう議論とは、所詮内輪だけでの議論に過ぎないのだろうか。

また、都道府県が市町村を吸収するのは自治の否定。独裁化にもつながり、危険であるという“誤解”に対してはこう述べる。

ちなみにわが国では憲法が前提とする民主的選挙の手続きがある。独裁者は生まれようがない。また国と府、府と市町村という階層間の組織紛争が起きても司法 手続きをはじめとする是正手段が多々ある。現に国と戦う自治体、県庁と戦う市町村の例は枚挙に暇がない。「都構想だと独裁になる」というのは情緒的で根拠 を欠いた妄想である。

ドイツの例を持ち出すまでもなく、独裁者というのは往々にして民主的手続きから生まれるという事実を全く理解していない。大衆の熱狂的支持から独裁者は生まれるのである。

最早多言を要しまい。橋下氏と大阪維新の会にとって、自身に抵抗する勢力は全て敵であり、議論の余地など皆無なのである。まさに暴力的革命そのものである。そしてその革命の行き着く先は恐怖政治だろう。維新の会が政権を獲ったあかつきには、その意に従わない者は抵抗勢力とみなされ追放されるに違いない。橋下氏と維新の会に潜む革命イデオロギーに警戒しなければならない。

(坂木)