民主党の前原氏がTPP参加交渉後に離脱もありうると発言したことに対して与野党から批判の声が上がっている。しかし私はこの発言が必ずしも誤っているとは思わない。
交渉の結果、日本の国益にそぐわない内容になった場合に離脱するというのは何らおかしなことではない。現実には離脱は困難だという意見もあるが、だからといって同氏の発言を批判するのはいかがなものだろうか。交渉中に離脱をちらつかせて自国に有利な条件を引き出すというのも立派な交渉術である。交渉前から自国の手足を縛るような批判は慎むべきだろう。
民主党の前原氏がTPP参加交渉後に離脱もありうると発言したことに対して与野党から批判の声が上がっている。しかし私はこの発言が必ずしも誤っているとは思わない。
交渉の結果、日本の国益にそぐわない内容になった場合に離脱するというのは何らおかしなことではない。現実には離脱は困難だという意見もあるが、だからといって同氏の発言を批判するのはいかがなものだろうか。交渉中に離脱をちらつかせて自国に有利な条件を引き出すというのも立派な交渉術である。交渉前から自国の手足を縛るような批判は慎むべきだろう。
道路交通法上、自転車は軽車両であり原則として自動車と同様の規制を受ける。しかしながら、一時停止違反、車道の逆走、無灯火など自転車の法規違反は目に余るものがある。したがって取り締まり強化はやむをえまい。また、それだけでなく、自転車を運転する際にも学科講習を義務付けるなど、ユーザーの意識向上にも努めるべきではないだろうか。
ただし付け加えておくと、自動車の運転手にも問題がある。個人的な体験で恐縮だが、以前こんなことがあった。私が車道の左端を自転車で走行していたところ、後ろから来た自動車にクラクションを鳴らされたのだ。言うまでもなく私の行為は法律に則ったものでありクラクションを鳴らされる謂われはない。このような、本当に免許を持っているのかと疑いたくなるような無知で不届きなドライバーもいるのである。自転車のマナー向上と並行して自動車のマナー向上も必要だろう。
(坂木)
世間ではTPPについて侃侃諤諤の議論が展開されている。TPP参加の是非ではなく交渉参加の是非の段階でこの揉め様である。個人的な意見としては交渉の結果をみて改めて参加の是非を判断すればよいと思うのだが。したがって私は現段階では推進派でも反対派でもない。交渉の結果を見極めたいから立場を決めるつもりである。ただ反対派の論理には飛躍が散見されるとも感じている。
例えば反対派は、TPPが導入されると食品の安全基準が外国のものに統一され、その結果日本の基準では安全とはいえない食品が食卓に並ぶことになるという。消費者が強制的に外国産の食品を買わされるというならばこの論は正しいだろう。しかし安全な食品が欲しいという消費者は安全な国産のものを買えばよいのである。価格は外国産に比べて割高になるだろうが、安心のためならばさほど高くはない。
これは反対派が主張する農業衰退論にもつながる。確かに日本の農業が外国との価格競争に勝つことは困難だ。しかし食品というものは工業製品と違って口に入れるものである。安ければいいという話ではない。安いが危険な食べ物と多少高いが安心な食べ物、賢明な消費者はどちらを選ぶだろうか。日本の消費者はただ安いものに群がる愚者ではない。TPP反対派や国内農業保護論者は日本の消費者をバカにしているのではなかろうか。話を元に戻すと、国内農業が生き残る鍵はここにある。すなわち安全性、高品質を売りにするべきなのである。実際のところ、日本の高品質な農産物は海外では大変な人気である。TPP参加で日本の農業は壊滅という悲観論だけではなく、これを機に日本の農産物を海外に積極的に売り出そうという気概も必要である。
更に話を進めると、現状のままではTPPに参加するしないに関わらず国内農業の衰退は免れない。零細農家中心の体制を脱却し、大規模農家の育成、法人の参加促進、農協改革などを進めなければそれこそ日本の農業は壊滅するだろう。しかしそうした改革は遅々として進まない。最早農家への個別所得補償で解決できる次元ではないのである。反対派はこうした問題に対してどのような認識を持っているのだろうか。
またTPP参加後、外国から単純労働者や弁護士・医者などの専門技術者が大量に国内に流入するという話もあるが、これは飛躍が過ぎるだろう。なぜならばこの主張は言語の壁を無視ないし過小評価しているからである。日本語もろくにできない労働者を企業は雇うだろうか。弁護士や医者についても、日本人でも理解しづらい法律や医療の専門用語を考えればなおのことである。日本人の顧客が積極的に外国人弁護士や医師を利用するメリットもみつからない。
全体的にTPP反対派の論理は、日本の消費者・顧客の観点が欠落している、あるいは彼らの見識を不当に低く見積もっていると感じざるを得ない。国民皆保険制度崩壊などもいささか誇張が過ぎるのではなかろうか。ただし、だからといって反対派の主張はとるに足らないと言っている訳ではない。
反対派の言うようにデフレの問題は無視できない。外国から安い製品が輸入されるということはそれだけデフレに拍車がかかることになる。だたでさえ日本は長期的デフレに悩まされているのに、更にそれが悪化するというのは深刻な問題だろう。したがってTPPに参加する場合にはデフレの解決が不可避といえる。
輸出依存度の低い日本がTPPに参加するメリットはあまりないという主張も概ね妥当といえる。ただし、敢えて言うならば、TPPに参加しなければ日本の輸出量・貿易黒字は減少することになる(少なくとも増えることはない)が。
また、輸出を伸ばしたいならTPPよりも円高対策という主張もその通りだ。現状のような異常な円高(ドル安というべきか)が続けばTPPの旨みも減少してしまう。
いずれにせよ推進派・反対派双方が歩み寄って議論することが不可欠である。その際にはメリット・デメリットを互いに認め合うことが肝心だ。TPPはこの国のありかたを大きく左右する重大な問題だ。決して「平成の開国」などという安易なきれいごとで済ませる問題ではない。
そして何よりも、交渉してみなければどうなるかわからないのである。初めからアメリカに要求を呑まされると言っている人々は日本という国家を無能力国家とでも言いたいのであろうか。確かに民主党政権では心許ない気持ちも理解できる。しかし交渉もしていないのに、あたかも日本社会が奈落の底に突き落とされるかのようにデメリットばかりを強調し不安を煽るのはいただけない。交渉の結果、どうやら不安が現実のものとなりそうだというのであれば反対してもらって結構だ。しかし現状でとやかく喚きたてるのはお門違いである。
(坂木)
最近、憲法9条改正問題に関して改憲派の観点から調べているのだが、学術書は圧倒的に護憲派からの主張が多く辟易している。彼らの気違いじみた論理には滑稽さと気持ち悪さを感じざるを得ない。既にこの問題に関してはさまざまな議論がなされ平行線を辿っているが、私の感じる所を述べたい。
護憲派に多い主張のひとつが「外交努力」である。武力で対外問題を解決するのではなく、外交で解決するべきだという論理だ。確かに外交は大切だが、この手の論理に欠落しているのは、外交力と武力は車輪の両輪だということだ。丸腰の相手の言うことなど誰がきくというのか。よっぽどのお人よしならまだしも、自国の利益の確保に常に鎬を削っている国際社会では通用しない。なぜ中国が毎年軍拡を続けているのかを考えれば一目瞭然だろう。何も中国は戦争をしようとしているのではない(局地的紛争は十分あり得るが)。強大な軍事力を背景に自国に有利な外交を実現するのが目的だろう。
こうした護憲派の外交努力理論は性善説を採用しているといってよい。じっくり話せば相手も理解するだろうと。しかしひとたびその視線が日本国民へと向けられると、性善説は一転、性悪説へと豹変する。憲法を改正すると再び日本は軍事大国となり、戦争を起こすという認識がそれだ。なぜ諸外国の人々は話し合いを好む平和的民族なのに、日本人だけは武力を持った途端戦争を起こす好戦的な民族というのかまことに不可解としか言いようがない。護憲派の認識では、人間は過去から学び、戦争を起こさないようにする能力を持っているのではないのか。にもかかわらず、日本人だけが戦争を繰り返すというのは民族差別に他ならない。
このように一方では人間理性を信奉しておきながら、一方ではそれを否定する護憲派の論理は破綻しているのである。
(坂木)
世田谷の放射能騒動の原因は原発事故ではなく、民家床下のラジウムが原因だった。この騒動は全く以て皮肉というほかない。
もし福島の事故がなければ床下のラジウムはそのまま放置され続けていただろうし、例の区道も“ホットスポット”のままだった。逆にいえば、福島の事故が起こるまで、近隣住民や通行人は被曝していたのである。
このように、我々の与り知らぬところで我々は被曝の可能性に晒されているということが今回改めて露呈された。そもそも我々は普通に生活しているだけでも被曝している。大地や水、食糧からも放射能は出ているのである。さらに今回の騒動である。気がつかないだけで、もしかしたら我々のすぐ近くにも“ホットスポット”は存在するかもしれない。
原発事故以来、過剰な放射能アレルギーが蔓延しているが、原発事故が起ころうとも起きまいとも我々が被曝のリスクを抱えていることに変わりはないし、実際に被曝している。無論、今回の事故によって放射能の量が増えた地域もあることは否定しない。私が言いたいのは、過敏になってはならないということである。自分は常に被曝しているんだというぐらいの気構えで気楽に過ごす。これが健康には一番いいと思う。
(坂木)