2011年10月5日水曜日

もし本気で秋入学を定着させたいならば…。

基本的には先ほどの記事に同感であるが、やや異なった視点から言及してみたい。

秋入学導入の理由にはいくつかあるが、おおむね以下のような理由に帰着する。

①秋入学者が少ないため、今までの入学者と同等のカリキュラムを確保できない。
②年度の期間が異なるため、留学生・研究者の受け入れ・送り出しに不便
③国際標準に合わせたいという東京大学の意地

こんなところではないだろうか。③は論外だが、①・②にかんしては考慮の余地がある。秋入学をすでに多くの大学は導入している。(大学院課程にて)しかしながら、現状のシステムではどうしても限界があるのも事実である。

だからといってすべての学生を秋入学にすることは就職活動や進学活動に支障がある、ボランティア活動の強制といったありきたりの批判のみならず、①・②の解決にも全くつながらない。そもそも、①については日本人学生に英語による講義を提供できないところにも起因しているので、講義数だけ増えても、留学生の受けられる講義が増えるとは思えない。②についても、現状でもセメスター制で可能な限り、国際的な同質性を確保しているにもかかわらず、増えていない現状を考えれば、年度を一致させるのみでそれほど増えるのかも疑問である。

東京大学さん、悪いことは言わないので、まずは秋入学を一般学生(浪人生・帰国子女・ギャップイヤーの学生)や社会人に開放し、枠を拡大するところから始めてみてはいかがか?カリキュラムも英語教育中心の留学生に合わせたものにすればいいだろうし、一般学生に適用しないから、米国型の卒業しにくい大学教育(大量の課題と厳格なカリキュラム)、フランスのグランセコールのようなカリキュラムの実学化も踏み切りやすいだろう。国際教養大学の成功は、まさにこの提案の成功の可能性を暗示している。

1990年代以後、日本で繰り返されてきた改革論・制度論がろくな結果をもたらさなかったのは、言うまでもない。ただ机上の空論で、ものごとをすすめることは誰にとっても幸せなことではないのである。国際化(笑)が悪いこととは言わない。(笑)としたが、私はどちらかといえば、大学改革推進派の人間に属している。しかし、それでも今回の議論は机上の空論を抜け出ないし、残念なことだが、国際化をはき違えた今回の施策をこのまま実行に移しても5年後、10年後に不幸な結果しか残さないと確信している。

(執筆者  43)