2011年10月18日火曜日

死刑存置派による思考実験・・・あえて死刑廃止論を考えてみる

私は基本的には死刑存置派である。しかしながら死刑反対派はこうした死刑存置派を基本的に無知蒙昧な存在として扱っている。そもそも両者には大きな隔たりがあるという点について死刑反対派が直視することはほとんどないといってよい。

死刑存置派にとって死刑(あるいは刑罰)とは、社会秩序に反した者に対して、社会正義を実現する手段(応報刑)であって、社会の防衛や抑止力などの一般予防、あるいは教育・矯正を通した特別予防といった観点は0とは言わないが、あまり重視していない。要は社会正義を実現するための応報の結果として、より一般予防の効果を高めるとか、特別予防の効果を高めるとか、社会全体の功利を高めるという発想はあるが、あくまでそうした観点は応報を超えるものではない。実は法学の解釈上、刑罰とは応報刑であり、リベラル派曰くの特別予防や一般予防は応報の範囲内で行われるものとされているので、一般的な感覚は、法学の厳密な解釈と合致していたりする。

一方、死刑反対派から見れば、死刑(あるいは刑罰)は社会正義を実現する手段ではなく、加害者の社会復帰や矯正、あるいは刑罰の威嚇性による一般予防によって社会を安全にすることこそが重要であり、個人に対する応報はそれほどの重点を置いていない。むしろ個人の素朴な感情など、無知蒙昧な愚民どものたわごととしか思っていないのではないかと思われるきらいもある。

したがって死刑反対派がいくら死刑存置派をなじろうとも、死刑存置派から見れば痛くもかゆくもない。論点が違うからである。

もし私が死刑反対派だったとしよう。
一般的な死刑反対論者は以下のような主張をしている。

①死刑の不可逆性(冤罪が発生した場合、取り返しがつかない)
②懲役刑と対比したときの、生命刑の異質性(死刑のみ極端に重すぎる)
③国際的な趨勢
④抑止効果がほとんどないこと

これらには被害者感情、応報感情に対する回答がほとんど示されていない。ただ死刑反対派はこうした考え方を『野蛮な』考え方として、拒絶しているだけである。あるいは死刑反対派で有名な犯罪被害者を会議に参加させて、被害者にも配慮していますアピールをするだけである。はっきり言って、死刑反対論は血を吐くような犯罪被害者の悲鳴に対しては何ら無力なのだ。拒絶したって世論は何も変わらないのに…。基本的に死刑反対派はリベラルな自分に酔ってるだけなのだと思う。「死刑反対なんて世論に反して公言できる自分かっこいい!!」

死刑反対派に聞きたい。あなたにとって死刑反対とは自分がリベラルであることをアピールするファッションなのだろうか?そうでなければ、なぜ死刑反対論が社会に浸透しないか、しっかり検証する必要があると思うのだが。

私が死刑反対派ならば初めにやるべきことは、被害者にとって死刑が意味をなさないものであることをアピールすることであり、終身刑の非人道性をアピールし、死刑のみが加害者に与えられる最大の刑罰というイメージを払しょくすることである。

①統計的に死刑を執行されても、被害者の加害者に関する感情は改善されない事実から、応報として、死刑は適切ではない。むしろ刑務所にぶち込みながら、被害者と加害者の関係回復プロセスを通じて、被害者の加害者に対する感情回復を緩やかに進めていくことが、被害者遺族の精神性の回復につながり、ひいては被害者遺族の社会復帰にもつながる。

②終身刑などの代替刑によって、応報に関しても十分満たされるということ。死刑にすることだけが、加害者にとって苦しいことではない。むしろ自由な時間をすべて奪い取り、監獄に押しとどめ続けることも十分、応報につながること。

をアピールするだろう。まあこれが本当の意味での死刑廃止論かは微妙だが。こうでもしないと死刑存置論は消えないと思うけどなぁ・・・。

(執筆者・43)

※私の刑罰論・死刑論について

まずはその人間が社会全体に与えた脅威に対して十分な罪を償わせるべきである。地下鉄サリン事件のような大量殺戮事件を起こしても、一生の命が保障されているのははたして正しいのか?

もちろん一般予防や特別予防を軽視してはならない。

軽犯罪・窃盗・強盗などの繰り返し起こる犯罪に関してはノートレランスによる取り締まりの強化や罰則の強化は犯罪抑止効果が高いといわれている。あるいは割れ窓理論のような地域での清掃活動に端を発する環境改善運動も限定的な効果ながら一定の効果が期待できるだろう(犯罪学ではごく限定的な効果しかない、効果がある、両方の説があるらしい)。

一方、重大犯罪に関してはこうした刑罰の強化はあまり犯罪抑止につながらないといわれている。したがって重大犯罪に対してでも死刑を与えることは限定的であるべきとも思う。今のレベルでの死刑判決には必ずしも賛成しない。そのためには無期懲役をもっときめ細やかにし、10年で仮釈放可能とするⅠ種(今までの無期懲役)と40年で仮釈放可能とする2種(現状の無期懲役の運用実態平均30年服役から比べると重いもの)、仮釈放を認めない3種(終身刑)に分けるなどの形で、死刑判決を回避するなどいくつかのやり方は考えられるだろう。

あるいは軽微な犯罪を繰り返し起こす犯罪者が多いなど、今の司法制度には問題を抱えているのも事実であり、そういった意味では刑務所の中での職業教育の強化は急務だろう。こうした囚人が社会性を持つためには模範囚に限り、刑務所外での企業勤務を認め、彼らの社会とのつながりを服役中から養わせることも重要かもしれない。そういう意味では無条件の厳罰化には反対で、少年犯罪や経済犯罪、軽犯罪の累犯者などむしろ緩和方向にすべきものもあるだろう。トータルで見れば、罪の緩和の方向に向かってもそれはそれで構わないと思う。むしろそれで応報が十分満たされ、社会全体の秩序が保たれるならば、それは喜ぶべきこととさえ思う。

私が望むのは罪に対する適正な応報が第一であり、こうした適正な応報が満たされた範囲内での適切な矯正教育・職業教育・社会復帰活動を通した再犯防止、あるいは抑止力の効果を使った社会全体の犯罪の削減である。